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  谷中

じんじつややなかのつじのぶりきてん

人日や谷中の辻の錻力店 
2006伊吹嶺四月号伊吹集収載句


 正月七日、谷中を歩いてみた。
 下谷、根岸界隈と並ぶ江戸の香りの残る街区である。とは言っても、年々その名残も消えて行く。
 開発賛成の勢力に保存勢力は経済的にとても太刀打ち出来ないだろう。最近歩いた街並みにはどこも共通の悩みが 見て取れた。
 我々ももう少し、歴史的街並みの残るところを全国的に紹介して地元の保存勢力に応援する必要がありそうだ。
 今回はJR日暮里駅北口から歩き始めた。
 道路を渡るとすぐに本行寺、別名月見寺がある。  昔は大変見晴らしの良いところであったそうで、小林一茶がたびたび訪れたそうである。
 陽炎や道潅どのの物見塚
 青い田の露をさかなやひとり酒
などの句碑がある。さらに種田山頭火の
 ほつと月がある東京に来てゐる
の句碑もみられた。しかし、現在はそんな縁(よすが)の一かけらもないのが残念だ。
 また、一茶の句にあるように、太田道灌が戦国時代に、見晴らしの良いこの地を斥候台として利用したとあった。

 蝋梅の香の山門を忍び出づ

 まるまると朴の冬芽が青き空

 彫塑館戌年の犬の像温し

 落ち水の音軽々し冬館

 堂の前には蝋梅の黄色い蕾が膨らんでいた。
 2,3分歩いて路地に入ると、古い街並みの中に今で言えば建材店であろうか、ブリキ屋があった。入口のガラスに 錻力店と大書されているのが懐かしい。
 その先に黒い大きな鉄筋造りが現れる。朝倉文夫のアトリエであった、朝倉彫塑館である。
 いぬ年でもあり、「臥したるスター」と言う犬の彫刻感銘を受けた。展示されている彫刻も素晴らしいが、湧き水で 作られた池やそこに配置されている巨岩も見応えがある。
 予想以上に見るものが多く、1時間以上を費やしてしまった。

 日溜まりにぬっと顔出す寒の鯉

 福寿草文夫遺愛の訪問着

 塔の無き礎石に伸びし冬木影

 松七日塔の敷地に竹箒

 昼食は蕎麦屋で七福人そば(TVで放映されたと言う)を食べたが、特段のものではなかった。ただ正月七日でもあり、 恵方詣の人でどこも一杯、幸田露伴の「五重塔」で有名な天王寺の塔の跡も弁当を使う人でベンチはうまっていた。
 谷中墓地には、徳川慶喜始め有名な人の墓が数多くある。
 オッペケペー節の川上音二郎の墓は上に銅像でもあったのか、台座だけの墓、オペケペッポー、ペッポッポだ。
 すぐの列びに、男にとっては怖い毒婦、高橋お伝の墓もある。辞世の歌の刻まれた立派な墓である。
 墓ばかり見てもしょうがないので、上野方面に少し歩いて下町風俗資料として残っている酒屋の吉田屋を見学する。
 私は東京目黒の生まれであるが、母の手伝いで酒屋に行ったこと思い出した。戦後ではあったが、酒も味噌も多くの 商品が量り売りであった。
 そして、それらの大きな酒瓶や樽、大きな算盤や通い帳も、酒屋の独特な饐えたような匂いまで思い出したのであった。

 オッペケペの墓は台のみ冬ぬくし

 賀の客の酒に走りし酒屋かな

 脂染む大算盤に冬日差
2006伊吹嶺四月号伊吹集収載句



 年棚や帳場机に通帳

 いせ辰に女人賑はふ小正月


 ここより上野に出るのが近いが、今回は千駄木に出ることとした。
 昼食の蕎麦屋の近くの観音寺の築地塀を見て、岡倉天心記念公園に出る。天心を祀る六角堂があるだけで、あまり 面白くなかった。
   三崎坂の変わったムードの喫茶店「乱歩」で一休み、店内は乱歩グッズと猫グッズで埋まっているような店だ。
 隣が千代紙模様で有名な江戸小物屋の「いせ辰」。狭い店が女性客でいっぱいであった。七日の季語には、女正月の 準備を始める日とも解説があったが、なるほどと一人頷いていた。
 近いうちに吟行会をと下見に来たのであるが、この辺りいろいろなコースが考えられそうである。
 気候がもう少し良くなったら考えたいと思った。

其の一了

吟行日2006,1,7





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