写真は写真の上でクリックすれば大きくなります。
戻るボタンで元に戻ります。
宇津ノ谷の地蔵盆と虫送り(静岡県岡部)

かねたたきあぜくるこらやむしおくり

鉦叩き畦くる子等や虫送り

宇津ノ谷の地蔵盆

 静岡の句友から、宇津ノ谷の慶龍寺の地蔵盆と岡部の虫送りを吟行しないかと誘いを受けた。
 ともに8月23日に行われる行事である。静岡駅を10時にチャーターしたバスで宇津ノ谷の道の駅 まで行く。
 ここで、東海道が出来る以前の峠越えの道、蔦の細道に入る人と直接宇津ノ谷の慶龍寺に行く人 とに別れた。
 最近膝が痛んで不安ではあったが、在原業平や藤原定家が和歌を詠んだ宇津の山越えをしてみたく、 蔦の細道にチャレンジした。
 藪茗荷玉紫陽花の咲く渓流沿いの細道を登り始めた。沢蟹なども顔を見せてくれた。
最後の五分ほどは結構息も切れたが、業平の歌碑のある峠に三〇分程で到着した。
   ここからの下りはきつく、靴が滑ってカメラをかばいつつ歩くのは相当に舞ってしまった。


   沢音に玉紫陽花の花零る

   見晴らしの峠盗人萩の花

   猫石に峠越えきし汗拭ふ

   茶畑の滑車に絡むやいと花

ひなびとのまつるざけくむじぞうどう  峠越えのあたりには、盗人はぎなどという物騒な草も生えていた。
 山の傾斜はお茶などの畑が多く作られていた。畑の横には農作業の道具や収穫物を運ぶ滑車が 作られていたが、ここのは錆び付いて、やいと花 が絡んでいた。
 猫石とは、当時旅人がここまで下りてくると、ここで飼い猫に出会い、やっと人家が近いことを 知ったからとの伝えがあるようだ。どこから見ても猫には見えない猫石ではある。
 広い道に出ると、木和田川沿いに親水公園となっており、保育園児が遠足に来ていた。
 このコースの終点である、坂下地蔵堂は、20年毎にしか開帳されない「鼻取地蔵」「稲刈地蔵」 「そうめん地蔵」が祀られているそうで、広縁では地元の人が集まって宴会中であった。
 いつが御開帳の年かは聞き忘れてしまった。ここからさらに旧東海道の山道を歩いた人もいたが 私はバスを呼んで貰って宇津ノ谷に出た。



   鄙人の祭酒酌む地蔵堂

   間宿(あいのやど)石敷き道に萩零る

   古るびゐし隧道抜くる秋の風

しゅうかいどうやごうのしるきあいのしゅく  宇津ノ谷は間宿(あいのしゅく)と呼ばれ、鞠子宿と岡部宿の間だの宿場として栄えたようである。
 今でも古い家並みが残っており、屋号で呼ばれている。その中には、秀吉が小田原遠征の折着用の 羽織を与えたと言う、御羽織屋などもある。写真で言えば、右の2軒目がそうだ。
 正面の山に先ほどの蔦の細道があるのだが、上の明治のトンネルを始め、大正昭和平成と4本の トンネルが掘られている。
 そんな山深い宿場に延命地蔵の慶龍寺がある。そして、地蔵盆の時に一年の区切りとして各家が 軒に吊し返る物が、十団子であった。
 静岡の連中によく詠まれる十団子は食べ物ではなく魔よけのお守りだったのである。
 業平の祈願によって、地蔵菩薩が人を食らう鬼を退治したという話に基づく物だそうだ。詳しくは ネットで調べて欲しい。
 各家の軒に下の写真のように、一年を通して吊り下げて置くのだそうだ。



   萩の風十団子の糸真新し

   仙人草零るる谷や間宿

   青ふくべ光る宇津ノ谷峠かな



次へ