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広島(宮島)紀行



筋なして潮引く浜や蟹遊ぶ
伊吹嶺9月号「伊吹集」収載


念願の広島へ

 定かな記憶ではなくなったが、私は昭和45年の3月まで転勤族の一員として広島に住んでいたことがある。
 東京生まれの私は、生まれて初めて、親もとを離れての生活であった。40年からの約2年間は寮生活、そして、 その後を所帯を持っての生活と自分史の上でも激変の始まりの土地が広島であった。
 そんな訳か広島の明るさと言うか透明感と言うか、茫漠とした懐かしさが常に思い出され一度は訪れたい場所 となっていた。
 今回は、伊吹嶺のインターネット句会のオフ会として広島の句友が企画したものに、乗せて頂いたのであるが、 心弾ませての参加であった。
 途中新幹線から見る景色は田植えのいろいろな場面を上手い具合に見せながら進んでくれた。ただ新神戸付近では 雨足がきつくなり、いささか心配もした。
 広島に到着すると、連中一行はすでに集合して待っていてくれた。急いで着替えなどをコインロッカーに放り込み、 宮島へ向かった。宮島へのローカル線は、事故で遅れており、逆に予定の出発時間より早めに出られたのは幸いであった。


宮島

 連絡船で宮島に向かう。ほとんどピストン輸送の船は、見物を終えた旅行者を大量に吐き出し、かわりにほぼ同数の 観光客を飲み込んで海上に出た。
梅雨晴間蛎殻臭ふ浜の道  すでに広島地方は雨は上がり時折夏の日差しが海を真珠の鎖でも置いたように輝かせていた。
当時私の勤務先は広島の中心地、紙屋町にあった。私の主たる得意先エリアは岩国であり、夏岩国への国道2号線 で草津から宮島の近辺を通るとき、日に乾く牡蠣殻の強烈な臭いを嗅いだものである。
 おそらく今では公害などと言われて牡蠣殻を山積みにして置いておくことなど無いかも知れない。
しかし、これすら懐かしい思い出となっていることに、海に広がる牡蠣田(筏)を見ているうちに気が付いた。
 厳島の朱い鳥居はどんどん大きくなり、着船場の近くには人々に混じって沢山の鹿が目についてきた。

 鹿は実によくなれていた。子鹿もずいぶん多く混じっているが、親鹿が人間を全く警戒せずのんびりとしていた。 子鹿の目旅の鞄を追ひ回す  我が連中は島の出発時間を決めて、自由に吟行すべく、幹事さんの作ってくれた道程表を手に散って行った。
 海は潮が引いており、海に浮かぶ朱の回廊も見たかったが、トップ写真のような情景で、回廊の下には子蟹が穴から 出たり入ったりしていた。
 鳥居の近くでは家族連れが楽しそうに子蟹を追いかけていた。広島在住のおりには、何遍かこの島に来たことはあるものの、 通りすがりの一観光客として見て回っただけであった。
 俳句を始めたことで、何を見ても新しく楽しく感じられるようになったことは本当に嬉しいことである。
 朱の回廊や高舞台に佇み、南風を受けていると平家の時代にタイムスリップできた感じがほんの一瞬ではあったがした。
 潮の満ちた中の朱塗りの回廊は神社と言うより平安の王朝絵巻そのものだと思う。それをそのまま再現してくれるのが 管弦祭(旧暦6月17日)だそうである。
 宮島再訪が叶うなら、この日に訪れたいものである。
 寝殿造りの屋根も感銘を受けた。
 檜皮葺で朱の梁に良くマッチし、緑青のような苔の色がすばらしい。また、屋根の線も実に優美な流れであった。
 厳島神社を堪能した後、大願寺を見学。あせび歩道なる、馬酔木の木の茂る山道をたどり、多宝塔を見る。
 さらに登って大聖院に詣でた。
 ここは真言宗御室派の大本山だそうで、奥ゆかしいものであった。
 秀吉が朝鮮出兵の折、海上の安全を祈念したところでもある。
緑陰の古堂に伸ばす萎えし足  左の写真の堂に登る石段に摩尼車があった。
 すぐ下の本堂までは、沢山の観光客を集めているのに、梅雨時のためか、登り道だからか、人影はなかった。
 誰もいない静かな磴を登りながら摩尼車を回すと、気恥ずかしくなるほどの音が響き渡った。
摩尼車(まにぐるま)音大きかり梅雨の空  この大聖院で小休止の後、五重塔から千畳閣へと廻った。
 厳島神社に関わるものはとことん朱い。いろいろな色彩色豊かな東照宮のような美も良いが、すべてが朱で統一された この社は、原生林の弥山と穏やかな瀬戸の海に限りなく映えている。
 左の写真のすぐ横手が千畳閣である。
 千畳閣は、秀吉が戦没将士の慰霊のために建立した大経堂で、秀吉の死により完成を見なかった豊国神社本殿なのだそうだ。
剥きだしの梁(はり)の太さよ梅雨の冷  秀吉らしくスケールの大きな建物である。彼ならこの堂をキンキラキンに飾り立てたのではなかろうか?
 未完に終わった堂に吹く潮風に身を委ねていると、この宮島にはほとんど白木のままの太柱が並ぶこの千畳閣が、 もっとも相応しいものであった気がした。
 集合時間も近づいてきた。
 弥山の頂上にも立ちたかったし、原生林の自然にも触れたかった。もう少し歴史もひもどきながら、ゆっくりと回れば さらなる発見も得られる島に違いない。何年も広島に勤務していながら、歴史が作り出した宮島、原生林の残る宮島に対し 何も知ろうとしなかった自分にあきれながら船着き場に向かった。
 全く引いていた潮は、すでに半ば満ちて来ていた。
 朱の大鳥居の影を揺らしつつどんどんと迫ってくる。  世界遺産の宮島。いつまでも潮の満ち引きに耐え存続して欲しい。木造建築の優美さを世界に伝えて欲しい。

青葉潮朱き鳥居の影揺らす 光晴


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