この日、午前の降りは相当だったらしく、用水の流れはめずらしく濁っており、激しいものであった。 この鞍月用水と反対側の大野庄用水に挟まれた地区が武家屋敷の町であり、 タイムスリップしたような情景を与えてくれている。なおかつ、驚くことに幾つかの観光用の建物以外は、 今でも市民が住んでいることである。以前お聞きした話であるが、土塀の補修などに大変な苦労もあるとの ことであった。
 右下の写真で青いものが写っているが、観光客相手のプロカメラマンのカメラの防水カバーである。 急ぎなので撮ってしまったが些か気になる存在ではあった。 時間がゆるせば、野村家屋敷や高田家屋敷跡などの内部見学も貴重な見聞になるであろうが出来る限り 歩き回り、俳句を感じ取ることを一義とした。
武家町の深き用水しぐれ傘 (2003,09)     いわゆる観光ルートを一本外れた町並みに入ってみた。大きな屋敷ではないが門などは古びており、 明治維新直前の武家の屋敷の趣が感じられた。写真でははっきりせぬが、蓑虫がぶる下がっていたのも 印象的であった。俳句は「鬼の子の門に吹かるる武家屋敷」に直す。
 あまりここで時間を食ってもまずい。宿泊先ホテルの向かいにある尾山神社に向かった。

鬼の子の門に吹かるる武家屋敷 (2003,09)


 私の居た頃(15年ほど前)は金沢の繁華街と言えば片町中心であったと思う。
片町のある程度高いビルのほとんどが雑居ビルであり、そのすべてが紅灯の巷であった。大和デパートも片町にあった。
 最近はこの繁華街の中心は香林坊に移っているようで、大和デパートも移動しており、東急109などの大型店が ここに軒を連ねていた。片町も相変わらずバーの名前ばかりのビルは多く散見されたけれど、顧客の流れははっきりと 変化していた。
 当時は由緒ある割烹などは片町近辺の大工町などに一軒家を構えて営業しており、仲居さんを置いている処が 沢山あった。当時我が家は子供がまだ小さかったため、外食となると、他のお客に迷惑の掛からぬように 座敷を用いることが多かったが、お店も心得て子供の面倒を見手暮れた上で、美味しいものを食べさせてくれた 記憶がある。百万石の城下町のゆとりなのか、人々が雪国の長い夜の過ごし方を知っていたのか、忙しい中にも 楽しい記憶のある金沢暮らしであった。今回そう言うところまで足を伸ばせなかったのは残念であった。



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