五十間長屋は兵器庫であり、櫓は物見櫓であり、表に向かって銃座のような窓が並んでいた。
 反対側の角に橋爪門があり、直角に曲がって続き櫓となっている。
秋思かな城門古き太柱 (2003,09)  櫓や長屋は二,三年前に再興されたものだが、橋爪門は遺構としてあったのか錆びた鉄扉や古びた太い梁などに興味を引かれた。
 外側に出ると長屋の表は深い堀になっていた。おそらく外の「蓮池堀」とか「百間堀」とか言われた外堀につながっていたのだろう。
 少々下って石川門に出る。向かい側が「兼六園」である。
 橋を渡って「兼六園」をみることも考えたが、ここは明日の楽しみとして、金沢を挟む、「犀川」と「浅野川」周辺と「東の茶屋街」を 散策することにした。
 現在の「石川門」と「兼六園」を繋ぐ橋の下は、道路である。「百間堀通り」と言って、 切り通しの道にも見えるが、先ほどの「蓮池堀」であったそである。金沢で一番広い通りかも 知れない幹線道路である。
 「兼六園下」からバスで「桜橋」に向かった。

犀川・浅野川・ひがしの茶屋

石川門側から見た橋爪門と櫓。ここと石川門の間はお花畑になっており、 きれいであった。 犀川は男川とも呼ばれ、暴れ川であったようだ。私の在金中には洪水を起こしたなどの記憶は無いが。
室生犀星の文学碑。流し雛をかたどってあるそうだ。写真ではあまり気にならぬが、 毛虫がいっぱい碑の上を歩いていた。この碑の下の流れが右上の写真。このあたりが「犀星の道」。 浅野川沿いの「鏡花の道」にある、水芸の像。この辺が明治の頃の繁華街だそうで、小粋な料理やなどの昔ながらのたたずまいも見られる。
室生犀星、泉鏡花、徳田秋声が金沢の三文豪と言われる。
手前の木橋が「梅の橋」、奥が「天神橋」である。左手の山が卯辰山。
浅野川の左、卯辰山の下が「ひがしの茶屋街」。
予備知識無しにこの道に迷い込めば、おそらくセットの街と勘違いすると思う。



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