東欧三都篇

プラハ城から街を俯瞰する
 

 俳諧紀行と言っても吾のこと、俳諧は徘徊に、紀行は奇行ともなろう。
 名所旧跡などの概略は、旅行案内書にまかせ、行った先々での心打たれた情景、感慨、思い等を俳句、散文、写真で記してみたい。

国境を越える

 成田からウイーンまで、直行便で約12時間のフライトである。
疲れは12時間分しっかり与えられるのだが、ウイーンとの時差マイナス8時間を考慮すれば、その日の4時間後にはウイーン空港に降りているのだ。
 日付変更線のお陰である。摩訶不思議な気もするが、このお陰で世界どこへ行っても日が昇るのは朝であり、暮れるのは夜となる。人間の生活リズムに合わされているから、この上なく便利なシステムではある。
 世界中の国の人々が仲良くこの一つの基準が守れるのに、なぜ主義、民族、宗教など、歩み寄って纏まれないのか、残念なことである。
 プラハまでは、航空機、列車、バスの便がある。  格安ツアーの一行である我々は当然貸切バスのお世話になった。240Kmの距離である。
東名高速で言えば、ちょうど東京―浜松西間にあたる。となれば4時間もあれば十分にプラハに到着出来ると考えていた。

モルダウの流れ

 ところが国境を越えると言うことは大変なことであった。
 出国手続きはオーストリア、入国手続きはチェコが行うのだ。当然のことであるがこの一線を越えるために長蛇の列ができるのだ。  島国の日本では考えられぬことで、みな大人しく2時間近く待たねばならなかった。
太平洋戦争後日本が4分割統治される案もあったのだから、もしそんなことになっていれば、経済的にも文化的にもさらには人間的にも壊滅的な影響を受けていただろう。
とにもかくにもホテルに着いたのは夜11時頃であった。

ヨーロッパのトイレ
これは、オーストリヤやチェコに限ったことではないが日本人の大半が困ることがある。まあ最近は日本人も背が高くなってきたから、それほど困らぬかも知れぬが男性用便器の受けが大変高いのである。私は170cmで、人様に比し特に短足であるとは思っていないのであるが、限度いっぱいといったところ。ちょっとでも押されれば手が触れてしまう。低くしたからと言って困ることは何も無いだろうに。大きくなければ人じゃないとでも思っているのだろうか。まして大半のトイレはチップまで取っているのだから。
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