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 江戸時代は牡丹屋敷であり、明治時代は陸奥宗光の邸宅。宗光の次男が古河財閥の養子に入り、九四七〇坪 の大邸宅となる。
 昭和に入り、汪兆銘が匿われたり、帝国陸軍そして進駐軍などに接収され最後には財閥解体により、大蔵省に財産税として物納 されたものだそうだ。
 白日傘和洋の庭を巡りをり

 優曇華や政商たりし人の邸  


 内部の撮影は禁止されていたが、洋館でありながら、和室の部屋もいくつかあり、面白い造りの屋敷で あった。和室に入ればコンクリート建ての雰囲気は一切無いように配慮されていた。
 洋館の仏間に涼し源氏雲

 清和かな古川邸の筬欄間  


 古河庭園は薔薇園として世に広まっているが、日本庭園もなかなか見応えがある。
 心字池を巡る回遊式庭園であるが、石灯籠は型の違うものを上手く配置して風情がある。
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