蘇州・上海・北京
天安門広場からの天安門
北京
北京は言わずと知れた中国の首都である。しかし、上海から北京駅に着いた第一印象は、曇りと言う天候のせいも
あるが、薄汚れた巨大地方都市のように思えた。
上海のような高層ビルもみあたらず、ただ人混みだけが感じられた。そして軍人がやたらに多く、共産党員でもある
のにガイドも何かピリピリしていた。
バスで王府井(ワンフーチン)と言う繁華街を通り、朝食のレストランに入った。食事はまあまあであったが、トイレ
は紙がなかったり、鍵が壊れていたりで上海より質が悪いと思った。
しかし道路は広く、さらにオリンピックに向けてであろうが、いたるところで整地が行われており、活気に満ちていた。
天安門広場
よくニュースにも出てきてなじみの広場であるが、現実に見ると本当に広い。そこに、中国人の観光客もまじりたいへんな人出
であった。その中に毛主席記念堂などがあり、南北880メートル、東西500メートルとのことだが、我々はすぐに
天安門から紫禁城の中に入った。現在はこの中全体を故宮と言い、博物館となっているようだ。
故宮
人波に揉まれながら天安門を潜ると、また大きな門が現れる。端門という。上のバルコニーのようなところには、
観光用だろうが、煌びやかな中国服姿の高官がいた。
同じように壮大な午門、太和門と抜けると太和殿に出る。
この太和殿の前で重要な儀式は行われたそうだ。写真右。
階段の真ん中は一枚板の大理石で龍が彫られている。大理石は冬に道を凍らせて、その上に石を置いて引いてきたと
ガイドの説明があった。
現在通路とされていない場所に敷かれている煉瓦は明代のものだそうで、だいぶ凹凸が出来ていた。
さらに奥に進んで乾清宮(けんせいきゅう)に到る。写真下。
ここは皇帝が政務を行ったところで、ここから奥は皇帝の私的な居住区となっていた。
その右手に珍宝館がある。これが北京の故宮博物館である。持ち運びの出来る貴重な財宝は殆ど蒋介石の手により
台湾に渡ってしまった。しかし、持ち運び出来ない大きなものや、この宮殿自体などとても素晴らしいし、1日や2日
の旅行で見尽くすことは出来ない。台北の故宮博物院も数年前の観光で数時間はいたのだが、見切れなかったし、北京も台北もまたの
機会があれば来たいところである。
今回はさらに改修中の建造物も多かったようで残念な気持ちが残った。
冬ざれや凸凹道の紫禁城
万里の長城
昼食後北京より75キロほど坑外の八達嶺長城に向かった。この万里の長城の全長は約6700キロメートル
で、北海道〜九州間の約2,5倍にあたるそうだ。紀元前5世紀の周の時代から築き始めて、秦の始皇帝が完成させた
城壁である。
約1時間で着く予定が道路の渋滞で3時間も掛かってしまったため、長城にはほんの数分しか止まることが出来
なかった。
小雨降る夕暮れの長城は、始皇帝の時代、それ以前の春秋時代の防人の表情を彷彿とさせ、夢の中を彷徨う気持ちに
させてくれた。
長城をセピアに包み時雨くる
西欧は石の文化である。日本は木の文化だ。中国も木の文化圏と思っていたが違うようだ。石と木を実に上手く
使い分けて、頑丈な住み心地の良い建造物を建てて来ていた。
支配民族が替わるたびに、うまく融合してきたのかも知れない。とにかく凄い歴史の国だと思う。できれば
近いうちに西安や桂林などもじっくりと見たいと思いつつ長城を後にした。
とにかく中国は広かった。蘇州も上海も北京も見るべきものはまだまだあるが、ほんのさわりを駆け足で通りすぎた
感がある。全て殆どの時間は移動時間に費やされてしまった。
どこの街も自動車と人間が溢れかえっていた。急激にモータリゼーションが進んだためか交通マナーは皆無と言って
よい。ウインカーも出さずに、ちょっとの隙間があれば割り込んでくるし、横断歩道が大変少ないため横断者も車が
目の前に来ても平気で渡ろうとする。現に人間と自動車の接触事故は3日間で3件目撃した。幸い死傷事故では
なかったものの、警官が来るようなこともないようであった。交通事故の死亡者は年10万人を上回るというから
恐ろしい。
また、車の性能も整備不良車が多く、万里の長城に行くときも自動車専用高速道にもかかわらず、緩い坂道
では50メートルに1台の割でオーバーヒートしたり、中にはプロペラシャフトが折れているものまでいた。
さらに驚いたのは、北京方面に戻るはずの高速道まで我々と同じ方向に行く車がどんどん走り始めたのだ。どうにも
渋滞がひどいので、警察が認めたのかと思ったら、勝手に走っているのだそうだ。警官の数も極端に少ないそうで、
とても取り締まりに当たれないとのことであった。脱北者探しよりもずっと大事なことのように思えるが、人命軽視も
甚だしい。道路の拡張もいたるところで行われていたが、4年後のオリンピックに道路交通法はきちんと守れるように
なるのか疑問である。
また、小泉さんの靖国参拝には、共産党員であるガイドさんも悪感情を抱いていたが、日本国民の誰も軍国主義を
礼賛するつもりで靖国神社に行っている人はいない、中国の忠魂碑の意味合いでの参詣だと話すと、少しは理解して
くれたようであった。
またお土産店の店員さん達も日本語を習っており、日本に何れは訪問してみたいという人が多かった。
政治的な幹部の意見がすぐに改まるとは思えないが、経済交流は止めることの出来ない大切な隣国である。
機会を見てはお互いにもっともっと底辺は底辺なりに意見の交換をする必要があると感じた。
交通渋滞のお陰で楽しみにしていた京劇観劇は出来なくなってしまったが、中国の歴史の深さと現代の変貌しつつある
中国を少しは実感できたことが何よりの土産であった。
完
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