観光都市プラハ

プラハ(チェコ共和国)  国土は日本の約5分の1、人口は1000万強。プラハは120万人、日本の都市と比較すれば、  川崎市が125万人である。ただし都市の面積で言えばプラハは川崎市の5倍ある。
 街全体が世界遺産に指定されており、1000年の歴史を持つ落ち着いた建築群が中世ヨーロッパの面影を今に留めているプラハではあるが、観光シーズンに入ると押すな押すなの混雑となるそうである。その上ホテルなどの料金も大分高くなるとのこと。行くならオフシーズンをお勧めしたい。地球の温暖化現象によるのか、この時期でも旅行案内書の気温より大分暖かであった。キリスト教圏では、この時期待降節に入り、商店などの飾り付けやバザールの夜店を楽しむなど、名所旧跡以外に旅行を楽しませてくれるものも多い。
 プラハは後で紹介するブタペスト同様、大きな川で東と西に二分されている。川はモルダウ川である。ご承知のようにこの間の夏の大洪水で大きな被害をもたらした。現在でも水位は高いとのことであったが、幸いなことに石の街であるため、文化遺産が喪失してしまうようなことは無かったようである。
 さて観光スポットであるが、まず川の西にある、プラハ城からがお勧めであろう。なぜなら丘の上にあり、下りながらのスポット巡りとなり歩くのに都合が良い。プラハは石畳の道を歩き回り、疲れたらビールを飲みさらに腹が空いたら、おいしい鵞鳥料理を食べる。そして、ライトアップされたプラハ最古の石橋のカレル橋を再度見てホテルに帰れば十分だと思った。


 プラハ城の城門は捧げ銃の衛兵が固めている。城内は大統領府か何か政府機関なのだそうだ。同敷地内に聖ヴイート大聖堂や修道院、美術館などがある。  ヴイート大聖堂は、930年にロマネスク様式で建築が始まり、1344年からゴシック様式の改築工事が始まり、現在の偉容となったのは20世紀半ばとのことである。
 日本の古い神社仏閣もそうであるが、キリスト教を始めとする他教の教会も無宗教の我々の心にも何か清浄な気をもたらせてくれるから不思議である。中に入れば、ステンドグラスが素晴らしい。四方八方ただ唖然。

大聖堂のステンドグラス


 この丘から見る町並みも大変素敵である。統一された色の個人住宅がモルダウ川やその先の歴史的建造物の塔などに、うまく溶け込んでいた。
 目を真近に向ければ道は石畳、片側は古い石の城壁、とぼとぼ下る気分はまた楽しいものである。
 坂を下りきると、17世紀〜19世紀の建物群。そしてモーツァルトも演奏したと言う、聖ミクラーシュ教会を過ぎると、観光客目当ての商店街に出る。日本の観光地とあまり変わらぬ小商店が中心と見た。


王宮から商店街、カレル橋へ


 丘の上から、ゆっくり20分も歩けばカレル橋に出る。  カレル橋は1402年に造られたゴシック様式の橋で時の統治者カレル四世に由来する。欄干には17世紀から19世紀にかけて造られた30体の聖者が並んでいる。その中の一つにフランシスコ・ザビエルの像があった。日本にまで来たザビエルをこの地で発見し、何かたいへん懐しい感情を覚えたのだった。
 橋のゲートを出て、しばらく石畳の商店街を行くと旧市街広場に出る。右手にティーン教会のツインタワーを見、左に旧市庁舎の時計台がある。ここらは地元の繁華街なのだろう。雰囲気は違うが渋谷か新宿のように若者たちでいっぱいであった。
 我々一行はこの広場に面したボヘミアングラスやガーネットなどの土産店で現地ガイドとも別れ、単独行動に移った。  この時ガイドが注意事項として、ヨーロッパの掏摸は芸術的だから十分注意しろ、また非常に多いなどと教えてくれた。店のガラス戸越しに通りを見ていたそのガイドが、突然今そこを歩いているのがスリだ、顔覚えておけと言う。暫くするとあれもスリだと囁いた。
 本当かいな?何でそれほど顔の知れたスリが仕事になるのか?警官らしきものは全く見あたらないし、脅しも度が過ぎるなあ〜、なんて思っていた。ところがウイーンで見事に私自身がスリ初体験をするとは予測出来なかった。

迷う

 ビールと軽い昼食の後、旧市街にある、火薬塔、ユダヤ人墓地でも見て、その後チェコで有名なマリオネット(人形劇オペラ)を観賞して、ライトアップされたカレル橋を渡り、おいしいビール、ワインと旨い鵞鳥料理を食べると計画を立てていた。
 街全体が世界遺産のプラハであるから、どこをどう歩いても確かにそれなりの光景はゴロゴロしているのではあるが、私の不注意で一番の繁華街通り、ヴァーツラフ広場からの角を一つ間違えたため、新市街地に紛れ込んでしまい、我がパーティーの面々に迷惑を掛けてしまった。
 やっとの思いで出発点の時計台に辿り着き、毎正時に動くからくりを見た。このからくり時計は約500年前の作であり、1年で1周りする天文時計である。からくりは、骸骨人形が鐘を叩き、窓から12使徒が2人づつ見える。ほんの数秒で終わるので、骸骨と窓の位置を正時の前に確認しておかぬと見逃す羽目になる。制作者は同様な精巧な時計を余所に作れぬ様にと針で目をつぶされたとガイドは言っていた。


秋思かなからくり時計は時代物 光晴  マリオネットも予想以上に人気のようで、夕食前の時間帯はすべて満席で入場出来なかった。
 これで目指すレストランも入れてもらえなかったらどうしようか?と考えた。  このレストランは旅行の前に俳句仲間から聞いており、ガイドもカレル4世の頃からの老舗との話、予約無しで無事入れたときはホッとした。
 料理は南ボヘミア鵞鳥の宴、厳選チェコの肉団子とキャベツ。ビールと共に皆も大変喜んでくれ、迷子の償いをしたのであった。  レストランの名前は3羽の駝鳥、で鹿や駝鳥のステーキ等ももあるようだった。
 一行腹いっぱいになり、ここでタクシーを頼みホテルへと帰った。  タクシーも流しなどは悪質な車もあるようで、必ず、一流の店で呼んで貰うことだそうだ。
 もう一日あればとも思うが、心残りのあるくらいで旅はちょうど良いのかも知れない。



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