深川散策と清澄庭園の二

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大川の朝ぼらけ 

 前回の吟行で立ち寄りが出来なかった所を2,3入れて清澄庭園、芭蕉稲荷を拝み芭蕉記念館で吟行句会を開いた。
 句会と言っても主宰も先生もなしの俳句を楽しむ仲間のダベリングである。
 11月3日文化の日であったが、庭園には七五三の親子連れなど多くの散策を楽しむ人々がいた。

霊巌寺と雄松院

 江戸資料館のすぐ傍に霊巌寺がある。寛政の改革を断行した、松平定信の墓がある。定信は八代将軍徳川吉宗の孫で、白河 藩主であり、楽翁の号を持つ才人であったそうだ。


 霊巌寺にはもう一つ見るべきものがある。
 それが、右手の写真の大地蔵である。一般的にお地蔵様は石造りで、それほど大きくないと思われるが、このお地蔵様 は大仏であり、青銅製であった。左手の4指が密着しており爪が長く、衣紋の畳み方がごつごつしているのが特徴である そうだ。
 江戸六地蔵の一体であり、旅人の安全を祈願して建てられたそうだ。ここは水戸街道のお地蔵様で、東海道品川寺、 奥州街道東禅寺、甲州街道太宗寺、中山道真性寺、千葉街道永代寺(現在は上野浄名院)とそれぞれ大きな青銅製の ようである。

楽翁の墓に黄落ひとしきり

秋日あぶ地蔵の前垂れ小さかり


 霊巌寺の横裏には、雄松院がある。大坂で芭蕉が旅に病んで亡くなったときに看取ったのが、弟子の度会園女であった。 夫の死後東下りして、深川で目医者をしていたそうだが、その度会園女の墓がある。誰が供えたか一対の供花があった。


翁忌や園女の墓に行き合はす


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