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 この後、島唯一の塩工場、雪塩工場を見学した。俳句に詠まれるような塩田はなく、深層水を利用していた。
 左の写真は、フウリンブッソウゲだそうだ。なるほどなかなか揺れ止まず、ピントが甘くなっている。
 また、右下は工場入口のシーサーとブーゲンビリアである。
 ホテルはシギラ ベイサイド スイートと言う、シーサイドのリゾート施設であった。部屋には大型の乾燥機があったが 音のわりには吸湿力のない物であった。
 翌日は南部にある来間島を巡り、(ここにも立派な橋で日本一の1690bの農道橋だという)宮古空港に向かった。
 宮古島から石垣島へのフライトは地図で感じる距離をはるかに超えるものであった。
 次の石垣島からが八重山諸島である実感も得られた。



   夏近し塩焚く釜の煙だし
伊吹嶺'10年4月号新同人競詠発表句

   陽炎に屋根のシーサー蠢けり
伊吹嶺'10年4月号新同人競詠発表句

   花ゆうな渚に蟹の穴幾つ

石垣島

 石垣島では、まず川平湾でのグラスボートによる、珊瑚の見物となった。
 順番待ちの間だに、黒蝶真珠発祥の地として有名な景勝川平(かびら)の海と公園の散策をする。
 下の大きな木は梯姑(デイゴ)の木だそうだ。大きな赤い花が咲くそうで、我々がデイゴと呼んだり、海紅豆と言ったり するのはアメリカデイゴと言うのが正しいようである。帰ってから図鑑で見たが、これが咲くときは景観だと思う。
 その大木の下に小さな観音堂があった。土台も珊瑚礁を削った石で出来ており、狛犬はシーサーであった。
 こんなに綺麗な海ではあるが、グラスボートから覗く海底はだいぶ荒れていた。白い珊瑚の屍が多く見られたのは 残念である。生きている珊瑚はずいぶん種類があるらしいが、ネオンのように先端が光る珊瑚が綺麗であった。



   苗代水満ちし棚田の土赤し

   土埃上ぐや甘蔗積む軽四輪

   累々と死せる珊瑚や暮の春

 石垣島を走っていて気づくのは、砂糖黍(現地では甘蔗=きび、と言う)畑が目につくことだ。ちょうど収穫の時期で くねくねと曲がったキビが畑隅に高く積まれていたり、トラックに満載され運搬されたりしていた。
 また、日の当たる段丘には石造りの墓というよりは、墓の家がそこここに見られた。
 宮古島でも同じであるが、お土産屋では、黒砂糖を中心に試食攻めに合う。下の写真の黒砂糖工場を見学したが、 みなここで作られたのであろうか?
 派手な唐人墓があった。これは1852年、中国アモイから400人の労働者がカリフォルニアへ送られる途中、その過酷な 仕打ちに蜂起、反乱が起こり多数の死者を出した。後のイギリス兵の追っ手や病気、自殺等で亡くなった128人を祀るために 建てられたものだ。
 もう一つ驚かされたのは、綺麗な浜に打ち寄せられたゴミの山である。流木などにまじっている、ペットボトルやドラム カンなどほとんどがハングルで書かれたものであった。



   艶やかな唐人墓よ涅槃西風
伊吹嶺'10年4月号新同人競詠発表句

   段丘に古りし石室仏桑花

   春寒しハングルの塵寄する浜

あでやかなとうじんばかよねはんにし  この後石垣港より、高速艇で約30分の小浜島に向かった。小浜島はNHKの朝ドラマ「ちゅらさん」で一躍有名になった 島だ。
 島に着いた頃から遂に雨が降り出した。ひどい雨ではないが、靄がきつく、牧場の牛がぽつりぽつりと置物のように 見えていた。ここの牛は数ヶ月までの牛で、糶にかけられ、松阪とか丹波とか飛騨、山形などに売られブランド牛になる のだそうである。
 ここのホテルもゴルフ場併設で部屋からすぐにコースに出られる。朝スタートホールに孔雀が現れたのには驚いた。
 また、前日は島の人達が飲むような酒場に行きたくて宮古島の町中まででたのであるが、この島にはホテル以外には 飲みに出る場所はないとのこと、遅くまで食堂で泡盛を美味しく飲んでいた。
 翌日は「ちゅらさん」のロケ地とかを見て、小浜港から西表島の大原港へ向かった。

上、黒砂糖工場。左、唐人墓。下、山丹花(イクソラ・コッキニア)。




   春霞仔牛顔出す牧の柵

   孔雀現る朝霞立つゴルフ場

   泡盛を酌んで離島の宴とす




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