写真は写真の上でクリックすれば大きくなります。
戻るボタンで元に戻ります。
刃物の関と和紙の美濃
翌日、運動場(?)に出された鵜としばらく遊んだ後、刃物の町関に向かった。関の孫六で有名である。この町に伊吹嶺
同人の方がおられ、お土産店の駐車場で居合抜きを見せて頂いた。なんと女剣士であった。
見学後は思い思いにお土産を、私も久しぶりに包丁を買い込んだ。
しばらく車で移動して、和紙と卯建のまち美濃市に戻った。卯建の残る場所は市の中心に近いようだが、良く保存されている。
昨年の福井、越前大野も袖うだつが残る町として有名であるが、ここは和紙関係の問屋や旅籠などがうだつの妻を競い
あったようで、華美である。うだつが上がるの語源である。ここにも美濃和紙あかりアート館など現代的な和紙のアート
を見ることが出来た。
うだつの町は暑いこともあるが、観光客も少なく、オープンセットを歩くような気になった。
炎天下女剣士の居合抜
2007伊吹嶺11月号「伊吹集」収載
居合抜竹諸共に暑さ切る
居合果つ女剣士の礼涼し
赤とんぼ卯建のあがる旧街道
炎昼や卯建の町のセットめく
次ぎつぎと風鈴鳴らす辻の風
風鈴の風の過ぎりし卯建の家
岐阜公園と芭蕉・誓子・多佳子句碑
岐阜公園は金華山頂上から長良川川辺までの広大な緑地である。なかに岐阜城、信長居館の跡、ロープウエー、
博物館それに芭蕉や山口誓子などの多くの句碑が置かれている。
今回は句碑は誓子の「鵜の川の迅さよ時の流れより」と芭蕉の「城跡や古井の清水先とはむ」を訪れた。芭蕉句碑は
万葉仮名で読むのに苦労であった。
また、信長の居館跡の石段には関東ではあまり見られなくなった瑠璃蜥蜴が光っていた。この後岐阜市歴史博物館で鵜飼
の特別展があるとのことで入館。プロレスもご当地の由緒あるものらしく展覧会が開催されており、チャンピオンベルト
を着用しての写真を撮って貰って記念とした。が恥ずかしいので載せない。
信長の居館(いやかた)の磴瑠璃とかげ
滴りや訪ふは芭蕉の古井句碑
藪蚊鳴く誓子多佳子の師弟句碑
夕涼し反り揃ひたる師弟句碑
灼岩の鵜塚の基に赤き数珠
長良河畔のホテルで遅い昼食のあと、関東に帰る仲間と長良川添いの鵜匠の家山下家にある、師弟句碑とそこから
近い場所の鵜塚を見て戻ることにした。
句碑は「鵜篝の早瀬を過ぐる大炎上 誓子」と
「早瀬ゆく鵜綱のもつれもつるるまま 多佳子」である。
橋本多佳子の俳句は沈黙の文学にしては言い過ぎなのかも知れないが、物に託して女を感じさせる、女にしか出来ない
句ではないかと思う。生命把握が感覚的に出来ていると言うことか。男の自分には出来ないだけに好きである。
鵜塚は移転されてここにあるそうだが、車の往来の激しい通りに面していた。誰が置いたのか赤い数珠と数枚の1円玉
が鵜塚もろとも灼けていた。
今回鵜飼は見ることが出来なかったが、普段はなかなか行けない所を栗田主宰はじめ多くの句友と吟行出来たことは
実に楽しいことであった。
新幹線から2,3日すれば梅雨の明けそうな海をボーと眺めつつ帰路についた。