小判の写真は写真の上でクリックすれば大きくなります。
戻るボタンで元に戻ります。
   

家康・次郎長そして赤い靴の女の子

東照宮の鼓楼。

久能山東照宮の鼓楼
極彩色、総漆塗りの建物が社殿を囲む。


 秋の日に誘われて、日帰りドライブに出かけた。
 山も海も出来れば神社仏閣の気の利いたところがあればと、片道150キロまでの限定で 地図を繰ってみた。
 広重の「東海道53次」の由比、興津などが頭を過ぎり、今回は静岡方面とした。
 日本平で秋の高原を楽しみ、富士と駿河湾も一望できる。そして東照宮もある。「美保の松原」 は以前2回ほど行ったが、あまり句も拾えそうでないとパスし、行ったことのない次郎長の寺 などを回ることとした。
 愛車「愛燦々号」(ナンバーが133)は今日も快調に走った。渋滞もなく富士川SAで小休止 けん朝食を取ることとする。少々雲は多いが富士山もすぐ目の前に聳え、眼下には富士川が秋の日 に輝いて流れていた。
 休憩後もう少し東名高速を走り、静岡インターで出る。先ずはインターから10分程のところ にある「登呂遺跡公園」に向かった。
 

登呂遺跡

日を浴びし弥生の遺跡豊の秋 (2003,10)  登呂遺跡は昭和18年に発掘された、日本初の弥生時代の集落、水田の遺跡である。最近また 発掘を始めており、さらに新しい発見がなされるかも知れない。
 復元された竪穴住居、高床式倉庫のほか、丸木船や陶器、さらには水田耕作技術など改めて 見学すると本当に驚かされる。小学校で習い、中学で見学もし、その後も見学しているのだが、 聞く耳も見る目も持たなかったと言うことだろう。復元された水田には、まだ稲が刈られて いなかったが、赤米などの古代米で収穫が遅いのか?隣は稗みたいのが植えられていたが、これも 特殊な穀物で、見学者のためにおいてあるのか?その辺は解らなかった。
 我が家の近くにも縄文後期の古墳遺跡があるが、日本の文化は木と土なので、存続自体が大変難しい ことだろう。それでも吉野ヶ里遺跡など近年になり発掘された大規模な成果は、遙かな過去のロマン 的興味を起こさせてくれ、嬉しいこと限りがない。
朝日濃き登呂の遺跡や草紅葉 (2003,10)「伊吹嶺」1月号伊吹集収載句
 登呂遺跡は、遺構の上にすべてが復元されているわけでは、勿論ない。前日雨が降ったのか住居跡の 竪穴は水に浸かっていた。そのあたりの草が赤く染まり始めていた。弥生人も我々と同じように 紅葉し始める草木を眺めつつ、冬の到来への備えに急いだのであろうか。
 駐車場から、この遺跡公園への入り口におみやげ屋が並んでいる。静岡名物、安倍川餅の旗が 呼び込みの声以上に効果的である。まだ朝飯を食べて1時間ぐらいであったが店の床机に腰を おろした。きな粉まぶしのあべかわ餅、わさび醤油のまぶせ餅、大変おいしく頂いた。 お店で日本平への道順を教えてもらい、パークウエイに向かった。


 

日本平

 たまに駿河湾を眺望しつつハイウエーを上る。箱根ほど対向車もうるさい単車も少なく 気持ちが良かった。
 駐車場に車を置き展望台に向かう。途中に銅像があった。なんと「赤い靴の女の子」の像である。 野口雨情の詩も彫られている。なんでここにあるのだ。横浜在住の私は、専売特許を横取りされた ような気になり、案内板を読んだ。
 赤い靴の女の子の名前は「岩崎きみ」ちゃんだそうで、なんと日本平の麓に生まれたとのこと。 その後北海道に渡り、そこでアメリカ人宣教師の養子になったそうだ。宣教師夫妻がアメリカに帰る 事となったとき、彼女は重い肺病になっており、航海に耐えられないとのことで、日本に残された そして9歳の短い命を終え、麻布十番にある「鳥居坂教会」に眠っているとのことであった。
 確かに、麻布十番にも女の子のモニュメントが商店街にあった。連れられて行ったけれど、 海は渡れずに短い一生を終えたとはよけいに可哀想な話である。今回初めて知った。


次へ