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展望台から富士山、駿河湾を満喫。空もそこそこ青く、海も煌めいていたのだが、画像は遠くに
靄が架かったようになってしまった。Y_2フィルターがないせいかも知れない。この写真が
トップページの写真である。
ここで気が付いたのであるが、以前は富士市のあたりは製紙会社からでる煙が沢山出ており、
その近辺を通ると臭くてたまらなかった記憶があるが、煙らしきものは出ていなかった。だいぶ
公害対策は進んでいるのかも知れない。
この時期の山野草はどこも彼岸花かすすきである。ここも例外ではなかったが、私には珍しい
花を見つけた。図鑑で見ると「釣鐘人参」という花のようだ。季語でもあり、沙参(しゃじん)
ととき人参、とも言い、根茎を味噌漬けなどにすると美味しいらしい。食いしん坊な私はぜひ
食べてみたく思う。とても花も可憐で色、風合いもすばらしいのだが、この季語で俳句は難しい。
花を詠む以上「釣鐘人参」だけでは思いが出ないし、「花」まで入れると、これだけで11語となる。
後6文字しか残らないのだ。感覚的には写真に付けたような句となったがどうだろうか。
この他、山野草では「あきののげし」があったが、季語ではないようであった。
久能山東照宮
久能山は日本平の隣の嶺である。日本平からロープウエイで谷を跨いで渡った。もちろん下からも
登れるのだが、観光客の大半はこの楽なルートを使うようだ。
風化して残った崖のような高い岩山「屏風谷」眼下100メートルの地獄谷の景観は、まだ紅葉
には少し早かったが十分に楽しめた。
駅を出るとすぐに博物館があり、極彩色の楼門がある。下から登ると1159段あるそうだが、
残りの少しを登り権現造のご社殿に着いた。
社殿は現在、漆の塗り替え作業中で、正面からはその偉容を見ることは出来なかったが、作業が
完了すれば、日光東照宮に負けないものと思われた。(左上の写真)
この社殿の奥の院が神廟と呼ばれる「家康」の墓である。(右上の写真)
幼少の頃今川の人質として駿府にあった彼が大成後、なぜそれほどまでに、この地を好んだのか
不思議な気もするが、遺言よってこの地に葬られているそうだ。
ここが全国東照宮の根本大社なのであった。
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