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梅蔭禅寺

次郎長の菩提寺、幽香山梅蔭禅寺  車を日本平に置いてきているので、帰りもロープウエイに乗らざろうえなかったが、10分 間隔と比較的よく動いているので便利であった。
 帰りの清水港に抜けるハイウエーは清水市の静岡市への合併のお陰とかで、無料になっていた。  ありがたいことではあるが、日本全体のことで考えれば、観光ルートである程度の交通料を 取られるのは致し方ないにしても、基幹道路の東名高速などは、なるべく早く無料化、少なくとも 低料金化を図るべきと思う。インフラの料金を下げることにより物価は下値に安定したままで 経済の活性化を進めることが出来るはずであり、直接高速道を利用しない人々にも大きな効用が 現れる筈だ。やっと、それに気づいた政党もあるようだが、今まで何もこの話がでなかったのは不思議で ならない。
 清水港の近くの、すしや横町で鮨でもと考えたが、近くの駐車場が何故か満杯。近くの梅蔭禅寺 に向かった。
 普通の観光ルートだと日本平観光のコース設定はこの後、三保の松原になるのだろう。この 次郎長の菩提寺、「梅蔭禅寺」の駐車場は空いていた。
 ここに行く気になったのは、数年前、「次郎長一代記」なる本を読んでこのお寺に清水次郎長 の墓があることを知ったのと麻雀好きの博徒の大端くれと自認しながらも、なかなか勝ちきれぬ のは何故かと大親分の墓に尋ねたかったからである。
 次郎長は1893年6月12日に没している。今年は没後110年にあたることになる。
次郎長の墓の鉄柵冷(すさ)まじき (2003,10)「伊吹嶺」1月号伊吹集収載句   博徒の大親分である次郎長は江戸時代と明治維新後で全く別の顔を持っている。明治元年は 次郎長49才であるが、講談や浪曲での大政、小政。森の石松や吉良の仁吉などとの一連の活躍 話は全てそれ以前のことである。
 維新以降は、駿遠三の治安維持に当たったり、咸臨丸乗組員の遺骸を葬ったりしている。また 新しいもの好きで、蒸気船に進んで乗ったり、英語教師を連れてきて教え広めたりしたそうだ。 さらに晩年には開墾事業に没頭し三保、日本平、富士裾野の大開墾を行い、幾多の社会公益に 尽くしたと言う。
 だからこそ、全国的な人気が未だに衰えないのであろう。だがお墓に詣でて残念だったのは 写真でも解る通り鉄柵が巡らされているのだ。子分や大姉御のお蝶と一緒でも監獄の墓のようで 悲しかった。



  

清見寺

鐘楼、梵鐘は約600年前の鋳造








建物は寺の一部、この左に鐘楼 山門、線路の手前にある

 東海道本線で言えば、静岡から東京方面に清水、興津、由比、富士そして沼津(いくつか 飛ばしているが)と海岸線を走っている。広重の浮世絵にもあるように、この近辺の景色は 富士と海の素晴らしい車窓を楽しめる場所であった。
 清見寺はそんな一角にあるはずであった。清水の町中からは少々はずれ、興津に近い国道1号 線から曲がればすぐに山門が見えた。
 先ずはこの三枚の写真をごらん頂きたい。
 下の写真の山門(慶安4年の建築で彫刻は、左甚五郎の弟子の作とのこと)を潜って参詣するわけだが、この山門の前も比較的車の多い通りなのだ。 駐車場はこの山門の両側にある。
 山門を潜ると細い参道の向こう側に東海道本線が走っている。線路は堀割のような場所を走って いるので、乗客は車中からこの清見寺を見ることは出来ない。東海道線の建設に当たり、当時の 座主が荒廃した堂や庭を直す資金にもと、境内を手放したと新聞で読んだ記憶がある。
 おかしな寺の佇まいとなったが、また1つの観光資源となりつつあるのではないか。
 清見寺は大変歴史の古い寺であり、万葉集に始まり、秀吉、兼好法師、西行、武田信玄、 芭蕉、鬼貫、白秋、与謝野晶子などの詠歌がある。ちなみに芭蕉は「西東あはれさ同じ秋の風」 の句を残している。和歌は三保の松原などの海の景を詠ったものが多く、ここからの展望がいかに 良かったかと思われる。
 また、方丈には家康公幼少のみぎりの今川に囚われの頃の手習いの間、明治天皇使用のトイレ など、歴史の節々が散らばっている。
秋蝶の五百羅漢(らかん)の間に舞へる (2003,10) 仏殿の畳廊下に秋気かな (2003,10)
この羅漢像は江戸中期(天明八年)に彫像されたもので作者不詳の傑作だそうだ。 天保年間の改築とのこと。どこを歩いてもちょっと頼りない感じだ。
清見寺の庭園。江戸初期、山本道斉により築庭された。家康も愛した庭で、国指定の庭園。 ここに立つ人の気持ちを良く表している一文。
 このように大変見所の多いお寺であるが、ここを目的としないとちょっと行きにくい。興津駅から 徒歩10分、車なら清水インターから約10分に位置している。
 一度こんなルートで静岡を訪れることをお勧めする。私はこの後、しばらく海岸線を走りたく、 国道一号線で富士まで転がして東名に乗った。相変わらず厚木辺りから渋滞に巻き込まれたが無事 帰還。おいしいビール?いや発泡酒を飲んだのである。
日本平と周辺観光 了


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