全線舗装の東西横貫公路。

狛犬勢揃いの欄干。渓谷を跨ぐ橋

花蓮、太魯閣峡谷

 朝7時前にホテルを出発。松山空港に向かう。松山空港は国内線専用空港であるが、けっこうな混み具合である。
 久しぶりに乗るプロペラ機だった。40〜50分のフライトで花蓮空港に着いた。
 北回帰線は花蓮のもう少し南であるが、湿っぽい暑さも、外の景色もすでに南国であった。畑はみな、椰子の木かバナナ 畑のようであった。
東西横貫公路入口  ガイドは日本語のうまいお年寄りで、面白いことに英語も日本人によく解る発音でしゃべっていた。我々のパーティが 乗った観光バスは半分がアメリカとドイツからの観光客であった。
 先ずは石の加工工場で、豊富な大理石加工品を見学した。この地方はまた、翡翠の産地でもあり、この採取も行われていた。
 翡翠の原石は大変大きなものであり、峡谷の下に転がっている岩を指さして皆原石だとガイドは言っていた。「欲しい人は誰でも持って 行って良いよ、手助けはしないけどおみやげに如何」ですと。
 この原石だらけの峡谷の川を恨めしげに見ながらバスは上って行った。途中東西横貫公路入口の鳥居というか、中華街の入口の門 みたいなところでカメラタイム。左手のトンネルは日本統治時代に日本軍が中心となり険しい崖を削ったり、板を渡したりトンネルを 掘ったりして台中までの山岳路を建設した出発点のようであった。
燕子口(イエンツーコウ)

 トップ写真でも判るように今では立派な舗装道路が中央山脈を越え、この旧道沿いに完成している。
 奥に進むに従い、この太魯閣峡谷は切り立った岩山の連続であり、上を見ても下を覗いても目が回りそうな断崖であった。
 右の写真は「燕子口(イエンツーコウ)」といわれる場所で、素堀のトンネルの多いところだ。名の謂われは、岸壁の 割れ目に岩燕が巣を作ることから来たそうだが、台湾では蝶々ばかりで、鳥には全然会った記憶がない。少なくとも 日本よりは少ないのではないかと思う。


高さ200Mの大理石とか 左側の凹みが旧道
「錐麓大断崖(ツイルータートアンャー)」。
大理石の一枚岩で200メートルもあるそうだ。
左側の黒い岩の切り込みが日本人が作った旧道。もちろん今は通行止めだが私なら怖くて歩けなかっただろう。


 右の写真は「九曲洞(チウチュイトン)」、の近辺だったと思う。道路はきれいに舗装されていても、この辺になると トンネルは旧道の素堀を広げたようなところがたくさんあった。
 雄大で長い太魯閣峡谷も(入口から19,5キロ)海抜450メートルにある峡谷、「天祥(テイエンシャン)」で終点となった。
 天祥もきれいな景勝の地である。対岸に美しい七重の塔が見えたが、これは尼寺の祥徳寺のものだそうだ。
天祥の景観  ここのおみやげ屋のおばあさんにも驚いた。
 私のカメラのバッテリーが空になってしまい、友人と予備を持ってこなかったことを話していたら、電池なら いろんな種類があるよ、と日本語で話しかけてきた。もちろん、私の役には立たなかったのであるが、実に巧みな日本語 であり、お上手ですね、と言うと、普段でもこの辺では日本語で話すことがよくあるとのことであった。
 台湾の中でも、特に花蓮は対日感情が良いらしいが、当初の日本の統治が珍しく、うまく機能した結果だと思う。
 現地の人間に、日本を無理強いせず、教育環境などは、内地並の整備をしたと聞いたが、100年近く後の、我々子孫が その恩恵を受けている気がした。





次へ