写真は写真の上でクリックすれば大きくなります。
戻るボタンで元に戻ります。
上野から本郷へ



春光や塗り落ち著き奏楽堂

上野から

 東京を歩く場合、上野を起点にするとどの方向に進んでも見所が転がっている。
 今回は名古屋の句友が見えられたので、東京の句友と上野から本郷に向かって句を拾うこととした。
 東京都美術館でオルソー展を開催しており、以前のオルソー美術館の感慨を再度味わうべく、みな より早めに上野に行った。
 鉄道駅を改装した、オルソー美術館の雰囲気を出すべく、写真なども多用してあり今回も大いに 楽しむことが出来た。
 西洋美術館のロダンの彫刻の前で皆に合流。このロダンの「地獄の門」にはなんと小鳥が来て 遊んでいた。
 「考える人」と記念写真を撮った後、モネの「睡蓮」など鑑賞する。素晴らしい絵ばかり見て、俳句 は浮かばないまま、上野公園を突っ切ってこれも歴史的建造物の奏楽堂に向かった。
 公園は花見には未だ早く、大道芸人の前に人は集まっていた。数本ある、寒緋桜は満開であった。


   ロダン作地獄の門に恋雀

   美術館出て緋桜の人となる

   山笑ふ異人も混じる大道芸

奏楽堂

 上野奏楽堂は、日本最古の洋風音楽ホールで木造である。旧芸大の奏楽堂でかつて滝廉太郎がピアノを弾き、 山田耕筰が歌曲を歌った由緒あるホールだそうだ。
 表には滝廉太郎の銅像もあるが、内部のホールには、日本最古の演奏用パイプオルガンがあり、 明治から昭和にかけての、小学唱歌読本など貴重で面白いものが数多く展示されている。
 日にちによっては今でも各種のコンサートが開催されているようだが、ホールの椅子に座って 流れるチェンバロの音に耳を傾けるだけでも陶酔感を得られる不思議な場所である。
 ここより、護国院、上野高校と動物園の裏手を巡り、鴎外荘で小休止。不忍池を見ながら岩崎邸 に至った。

岩崎邸



   春灯し緞帳褪せし奏楽堂

   春昼やチェンバロ響く奏楽堂

   鴎外荘小さき庭の白椿

 岩崎邸は三菱財閥の岩崎本邸である。
 設計は鹿鳴館、上野博物館、ニコライ堂などの設計で有名なジョサイア・コンドルである。
 当時は敷地1万5000坪余りで、表門は春日通りにあり、湯島天神に隣接していたというから 凄い。この洋館だけでなく、和館も書院造りの立派なもので、完成当時は和館だけで550坪あった そうだ。庭に出ると、夕日を浴びた洋館が哀愁を帯びた景色となって瞼に焼き付いた。
 ここより、東大病院の裏手から三四郎池、赤門を過ぎて本郷老舗の天ぷら屋「天喜」で歓迎句会。 さらに神保町に出て、句友も私も50年近く以前に良く覗いたという茶房「ミロンガ」で懐かしの タンゴを聴いて本日の余韻を楽しんだ。

   亀数多首出す池や柳の芽

   夏隣るスワンボートの頭に鴎

   春深し夕日まみれの岩崎邸

   椅子古きタンゴ喫茶や春灯し

 学生の頃、私はコーラスをやっていたのだが、仲間にタンゴやシャンソンを格段に好きなものが いて、良くこの神田まで足を伸ばした。
 ミロンガは当時からタンゴの店であり、手前のラドリオはシャンソンの喫茶店であった。神田には 他にシャンソン歌手の卵が実演する喫茶店なども駿河台下にあったが、今は尋ねてもどこにあったのかも 判らないほど街は変わってしまった。
 そんな時勢であるが、未だに頑張っているミロンガとラドリオ。末永く残って貰いたい店である。
[了]
吟行2007,3,13

新新「私の吟行地」目次へ
新「俳句とカメラで綴るムーさんの歳時記」へ
俳句とカメラで綴るムーさんの歳時記(トップ)へ