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木曽福島と高遠遠照寺(長野県)



乗鞍の白き稜線夏きざす

2008年8月号伊吹嶺「伊吹集」収載

諏訪サービスエリア

 朝集合地の藤沢に向かう。  小田急線の車窓から雪に輝く富士山が関東平野の突き当たりに見える。
 近景のマンションを背に燕が行き交っていた。前日までとはうって変わり雲一つない 快晴である。
 今回の俳句仲間6人での1泊吟行を天気も祝福してくれた。  バスは厚木から相模湖に抜け、中央道に入った。談合坂で休憩の後諏訪湖サービスエリア で昼食休憩。  長野名物の馬刺し丼を美味しく頂いた。
 昼食後は、八ヶ岳の裾野が広がるパノラマを藤棚の下で楽しんだ。諏訪湖は昨日までの 雨に濁りがあったが、スワンボートなど浮かべて初夏の湖であった。 ちょうど盛りの橡の花は、強めの 風に拳を突き上げるように揺れていた。


   まだ白き富士山頂や燕くる

   畑すみに残る大根の花真白

   真向へば残雪の八ヶ岳大きかり

   

木曽駒が岳?  次の休憩は中央道を降りて、伊那の道の駅であった。木曽駒の中央アルプスと御嶽山などに囲まれた 伊那谷の景色も、懐かしい景であった。
 電線を避けて白い山並みを撮りたかったが、どうしてもじゃまな電線が入ってしまった。たぶん 白い嶺は中央山脈の山だと思う。
 道の駅は、珍しい花の鉢をいろいろと売っていた。幾つか「身近な花々」に載せた。
 1時間弱走って木曽福島に着いた。

木曽福島

 木曽路では、馬籠、妻籠、奈良井宿などが特に名高いように思うが、木曽福島は「入鉄砲に出女」 を厳しく取り締まった江戸時代の四大関所の一つだった。
 特に街並みは残されていないが、高い建物もなく、ほとんど開いていない商店街に燕だけが忙しく 行き来していた。
 関所跡は今は間に幹線道路があるが木曽川の崖の上にある。その上をJR中央本線が走っていた。
 関所跡の隣に関所を模した資料館があり、女手形、人足手形、さすまたなどの捕縛の武器などが 当時を偲べるように配置されていた。回りが余り観光化されていないせいか箱根の関所よりも 納得させられる。


   夏つばめ木曽の関所を欲しいまま

   くすみたる女手形や蛇いちご

   夏草や列車の過ぎる関所跡

   


山村代官屋敷

急流であったと想像させる木曽川上流  関所跡から町中を流れる木曽川の橋を渡って15分ぐらい歩くと、この関所の開所から明治の廃関 までの270年に渡り関所を守り、木曽の代官であった、山村氏の屋敷跡がある。
 木曽は檜を中心に材木でその財政は豊かであった上に、善政も敷かれていたようで、現存する遺物 も立派なものが多くあった。
 もちろん現存する屋敷は当時のほんの一部とのことである。現在門なども再現されつつあり、 展示物と相まって、立派な観光資源になるだろう。
表の溝には、勿忘草(わすれなぐさ)が群生し、きれいな流れの中にはやまめの稚魚が沢山泳いでいた。


   代官の鐙の螺鈿涼しかり

   夏寒しさすまた用意の上番所

   はつなつと諾ふ空の青深し

   


螺鈿蒔絵造りの鐙(あぶみ) 貝合わせも立派だが、紙箱の大和絵がすばらしい


   雲海を模す石庭に夏日濃し

   石庭の真砂に涼し岩の影

   狂言師小面を脱ぎ汗拭ふ

   


興禅寺

 興禅寺は福島関所代官山村氏代々の菩提寺であり、また、木曽義仲の墓や代々の墓所でもある。
 義仲の墓所は義仲寺(湖西 大津を参照) が有名であり、私も参拝してきたが、ここにもあると知り、驚いた。
 義経に追われた時、巴御前に遺髪を託して木曽に帰した折の遺髪が祀られているのだそうだ。
 勅使門は、源行家が平家追討の以仁王の令旨を持ってこの門を通り、観音堂で義仲と会ったことに 由来する。
 向かって左側に大きな石庭がある。
 この石庭は、現代の巨匠重森三玲氏の作で、昭和三七年に完成した。
 雲海上に浮かぶ山岳を象徴的に表現したもので、石は753になっている。
 ちょうど、重森氏の一番弟子という人が来ていて、この庭の歴史的な価値が毎年増して行くだろう と熱弁を振るっていた。
 そして本堂では、村芝居か何か狂言師が縁で出を待っていた。
店なども出ているのは、縁日ででもあったのかも知れない。


   青あらし木曽義仲の遺髪塚

   老鶯や山頭火碑の深き彫り

   老農の畦繕ふや金鳳花

   


 また、案内はないが、義仲の墓前と本堂前に山頭火の句碑があった。
 一つは写真の「たまたま詣でて木曽は花まつり」もう一つは墓前の 「さくらちりをへたるところ旭将軍の墓」である。
 この句の良さは解らないが、素直に詠むことの重要性は、この句からも教えられた。
 帰りは見たいと思っていた残雪の常念岳を植田の上に眺めつつ高遠から松本、美ヶ原へと戻った。  泊まりは昨年と同じ藤沢市の美ヶ原の山荘。
 美味しい食事とアルコールを十分に注入後句会を夜遅くまで行った。オブザーバーまで参加して 選句に加わって貰い、俳句の楽しさを体感してもらった。
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