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岡部の虫送り

 間宿のお年寄りに十団子の作り方を教わったり、句友に仙人草という有毒の花を教えてもらったり でまたたく時間は過ぎた。
 昼食を鞠子宿のとろろ飯で掻きこみ、句会を開いた。吟行句会は皆がおなじ物を見て作句するので、 面白く、また勉強にもなる。
 句会を終えて、本日は休みの丁子屋を見る。ここもとろろ屋であるが、芭蕉が寄ったとかで、句碑 があり、広重の五十三次の鞠子宿を思わせる、藁屋で有名なお店である。
 ここからまた宇津ノ谷を通り岡部町に向かった。
 まずは、ハンセン病に罹りながら大野林火に師事し多くの佳句を残している、村越化石の句碑に 向かった。
 全く知らぬ俳人であったが、岡部の人であり、戦後の特効薬のお陰で、生は維持できたものの失明 は余儀なくされたそうで、この句碑も点字が併記されていた。
 このたび読ませて頂いたが、生死感の漂う佳句が沢山有るようだ。
化石の句碑は朝比奈川沿いの玉露の里という庭園前にあった。
 庭園は5時閉園で終わっていた。
 近くの茶畑農家の庭先には見事な鳳仙花が花を零していた。
 しだいに夜帷の下りる頃、虫送りの舞台となる総善寺に向かった。


   丁子屋の自然薯蔓が絡み合ふ

   身に入むや点字併記の化石句碑

   望郷の化石の句碑に蝉しぐれ

 お寺の前はずーと田圃である。
 夕闇の中に遠くの方から鉦を鳴らし、松明を持った一団が少しずつ近づいて来た。
 一団は子供達であり、口々に「なんの虫おーくる。田ぁーの虫おーくる。」と囃していた。
 おそらく疎開先でもこんな行事はあったのだろうが、ちょうどはいせんの8月。その年だけなかった かもしれない。
 子供達が、畦の篝火に松明で火を灯しつつお寺に近づくと、住職は燃えさかる篝火の横に設えた 精霊棚に読経を始めた。
 都会に住むものにとってはまず見られない、瞬間であった。
 静岡駅に戻っても、虫送りの興奮醒めやらず、今度は地下に潜り、都会の灯を浴びつつ、般若湯 で喉を潤してから家路に付いたのであった。



   虫送る松明爆ぜて土手焦がす
伊吹嶺2006,12月号伊吹集収載句

   虫送る松明読経の僧照らす

   虫送り松明の火の闇に飛ぶ

[了]
2006年8月23日吟行


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