尾山神社
尾山神社は近江町市場と香林坊の間にある。鳥居の次に潜る神門に特徴がある。どこの神社にも
こんなものはない。
神門は、鳥居を潜るとすぐにある門で、上から和・漢・洋を折衷した3層造りの楼門である。
何か謂われは聞いた気はするが思い出すことが出来ない。明治8年の作で、灯台の役目も持って
いたそうである。現状は海からはだいぶ遠いので、北陸本線の西側は埋め立てられた土地なのであろう。
尾山神社は、藩祖前田利家を祀っている。利家の銅像、さらにNHKの大河ドラマから、おまつの像も
並んで建てられていた。前田家縁の宝物が沢山保管されているそうである。
俳句を知るようになり、結社「伊吹嶺」に入会して初めて知ったことであるが、「伊吹嶺」
の前身が「風」なる結社であり、本拠地が金沢であったそうである。
主宰は澤木欣一師であり、その奥様であったのが、細見綾子師であり、この流れを汲んで活動しているのが
我が句会の「伊吹嶺」であったのだ。そして、この尾山神社に細見綾子師の「鶏頭を三尺離れもの思ふ」の句碑が
あることを知ったのである。
句碑は裏門左手にあった。
なんと横の石の上に鶏頭の花束が置いてある。しかし誰も見あたらない。折角持ってきて飾らずに
帰ったのかと不振顔に覗いていたら、一人のお年寄りが箒とちり箱をさげてやってきた。花束を触っていたり
して、ばつが悪く急いで去ってしまったが、勇をふるって話しかければ、老人は有能な俳人で、面白い話が聞けた
かも知れぬと悔やんでいる。
東京に帰ってから、何とその日が綾子師の祥月命日であったと知ったのであった。神苑の池畔では残り少ない夏を
惜しみ、みんみんが次から次へと鳴いていた。
東門と言う裏門を出て金沢城に向かった。この東門は表の神門とは違う古風なもので、
彫り物のあるなかなか趣のある門であった。
少し歩けばすぐに金沢大学のあった丸の内に着く。今は完全に移転して、金沢城址公園に変わり五十間長屋、
それに続く菱櫓、続き櫓、橋爪門などが整備されていた。
金沢城
登り坂に少々汗をかいたが木陰に入れば秋の風が心地よく、路傍の石に腰を下ろして句手帳をひろげた。
まだ工事中の場所も多々あるが、往時の金沢城はまことに広大なものであっただろうと推測させるに十分な広さである。
最初に目に飛び込んできたのが五十間長屋であり、その角をなす菱櫓であった。この櫓と松の木の間にアンテナ塔が覇を競うように
一本見えていた。写真にしてしまったら何でもない風景となったが、俳句だけの方が実際の情景を捕らえる場合も
あることが判った。