舞阪宿
旧東海道の松並木
俳句結社「伊吹嶺」の全国俳句大会が浜名湖ロイヤルホテルで開催された。
昨年は渥美半島の伊良湖岬で行われ、私も初参加したのだが、あまりゆっくりも出来ず文を書かずにしてしまった。
今回は大会の始まる前に浜名湖近辺の吟行句を提出することもあり、早めに出かけることとした。
舞阪周辺をどう歩こうかと考え、昼食時間も含め約3時間と見積もり、新幹線を浜松で下車、東海道線で弁天島駅で
降り舞阪駅まで1駅を歩いて戻るコースとした。幸い好天に恵まれ東海道膝栗毛を堪能できた。
弁天神社
弁天島駅は今では橋でつながれて島の雰囲気はないが、地図上では島の中にあった。駅前を国道1号線が走っている。
海側に横断歩道を渡ればすぐそこに弁天神社はあった。
ここには天女が舞い降りたとの伝説があり、松の木があった。天女はこの後、三保の松原に行ってしまったそうだ。
そんな由緒ある土地として弁天神社を祀ったとのことである。
境内は狭いが、子規の「天の川濱名の橋の十文字」の句碑などがあった。台風の直後でもあり、ボランティアの女子が
掃き掃除をしていた。現代の天女達だと思った。
秋天や祠清むる女高生
海沿いの路を舞阪に向かった。宮島の鳥居のように海の中に赤い鳥居が建っていた。
北雁木
雁木とは、船着場の階段のある桟橋のことである。
階段状の石畳が残っているが、現在はその先は防波堤があり、漁港となっていた。
当時の渡船場の味配は探すことが出来なかったが、西の新居宿には船を使ったそうであるから結構な騒がしい場で
あったことだろう。この日は漁師はほとんだ陸に上がったらしく、堤防の上ではのんびりと釣りを楽しむ人影が見えた。
たぶん夜釣りで黒鯛でも狙っていたのだろう。コンクリートの上にフグやウミヘビが干からびて捨てられていた。
波打ちぎはには、洲走り(ボラの子)であろうかメダカくらいの小魚がたくさん泳いでいた。
この現在の漁港からは10分もせずに、脇本陣に到着した。
渡船場に動かぬ釣り師秋うらら
河豚の子の捨てられ乾ぶ秋の昼