ブタペストへ
翌日最後の訪問地、ハンガリーのブタペストに向かう。ウイーンからブタペストは約250Km強。東名高速で東京―三ヶ日間の距離である。国境の検問も慣れと諦めで左程苦痛でもなくなった。国境で両替を済ませ、ドナウに咲いた薔薇と言われるブタペストに入った。
ブタペストはハンガリー(人口約1000万)の首都で、人口200万強。面積525Kuである。日本の都市では、人口で京都府、面積で神戸市位だ。
日本人びいき?
ハンガリーは97%がマジャール人で、アジア系の血を引く。したがって日本人と同じように、赤ちゃんには蒙古斑がでるそうだ。最初にこの地に来たのは9世紀で、それ以前はケルト人やローマ人等が、以降も蒙古、トルコ、オーストリア、ソ連等の侵略が繰り返された歴史を持つ。したがって、プラハのように中世の街並みがあるわけではないが、19世紀の黄金期の建物はやはり壮大である。
ブダペストはドナウ川を挟み西にブダ地区、東にペスト地区と別れている。この二つの街を19世紀のオーストリア・ハンガリー時代にくさり橋で繋がり、首都として発展してきた。
ブタは王宮の丘と呼ばれる、2,3世紀頃ノローマ時代の遺跡(今も発掘している)やマーチャーシュ教会、王宮博物館、漁夫の砦など。他に鍾乳洞などもある。
ペスト側はどちらかと言えば商業地である。もちろん、聖イシュトヴァーン大聖堂、国会議事堂等々すばらしい石造りの建築群は、世界遺産の街に指定されているだけの見事なものであった。
ホテルには11:30分頃着いた。昼食を取ろうにも日曜の所為か、まともなレストランは大きな駅(南駅)の近くにもかかわらず開いていなかった。ホテルの食堂もやる気のなさ甚だしく、なかなか開けてくれなかったが、何とかそこで食事出来た。ツアーのほとんどの方々は菓子パンなどを食べたようだが、つい最近まで共産圏にあったため、サービスを忘れてしまったのではないだろうか。地下鉄の切符売り場や街のレストランでも愛想はすこぶる悪い国である。ガイドに言わせれば、それでも同じ蒙古斑を持つ日本人には大変親近感を持っている人々だと言うのだが。
昼食後バスで主要観光地と旅行社お勧めの土産物店をまわった。
まず土産物店に連れて行かれたのであるが、刺繍もの、トカイ・ワイン、フォアグラの缶詰、プロポリス等が日本に比べると本当に安い。でも観光地の中心ではなく、いささか寂れたとこにあるなぁー、と感じた。それでも売り子はみな日本人だし、円もOKとのことで大勢の人がここで買い物をした。私も1万5000円ほどの買い物をしたが、これは大失敗であった。旅行社推薦の店は絶対に買うべきでない。参考価格として買いたいものを見るだけにすべきだ。翌日入った地元のお店は、ここのすべてが半額であった。
1905年に完成したネオ・ルネッサンス様式のカトリック教会、聖イシュトヴァーン大聖堂を見学、建築とか宗教に無教養な私には驚くだけで、差異などあまり解らず、些か食傷気味ではあった。
無賃乗車
夕刻ホテルに一度戻り、夕食を取りに出かける。地下鉄2度乗換え券を求める。デアーク広場駅で乗換え次の駅フェレンツィエク・テレ駅で降り、繁華街ヴァーツィ通りに出たのだが、乗換え中に東欧独特の検札官に捕まった。
東欧の三都市何処でもそうなのだが、いろいろな乗車券があり、地下鉄でもバスでも乗り換え自由な券が発売されており大変便利だし安くて素晴らしいのであるが、この検察官に捕まり、もし無札だったり、使用法が間違っていたりすると、有無を言わさず高額な罰金を取られるしくみとなっている。
もちろん我々は乗換え券を買っていたのでOKとなったのであるが、言葉の通じそうもない旅行者とか、胡散臭そうな人を見つけては調べるようだ。我々の後に捕まった人はポケット中捜す振りをしていたが、無札乗車だったのではないか。
あわや
入ったレストランはファタール。料金も安く、地元では人気抜群の店だそうだ。ただ現地通貨のみで、カードもユーロも使用出来ないから注意する必要がある。我々も6人全員のフォリント通貨を集め、メニューの価格表を見て10%のチップを計算の上で注文をせざろう得なかった。
幸いなことに、代表的なハンガリー料理のグヤーシュ・スープを頼み、美味しいビールさらにアイスクリームまで注文することができた。
グヤーシュ・スープはパブリカ入りの肉と野菜のスープで大変濃厚な味であり、取って付きの鍋に大量に入っていた。さらにアイスクリームは4段重ねのもので、2人が頼んだにもかかわらず全員がお相伴に預かれた。
しかし店員はすこぶる無愛想で話に聞く共産圏の従業員そのものであった。腹をいっぱいにし、土産店を冷やかしながらまた地下鉄に乗りホテルに戻った。地下鉄の乗車駅はいつのまにか違う駅に出てしまったが無事帰り着いた。
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