トラブルその1

 自由行動最後の一日となった。ホテルで朝食を取り9時ごろ地下鉄の一日券を購入して街に出た。ブダとペストを繋ぐ「くさり橋」を徒歩で渡り、ケーブルカーでブダ側の王宮の丘に向かった。
出札係りのおばちゃんは、まったく英語が判らず上下の往復が通じない。運賃表には下りの方が若干安く書いてあるが、上りの券を2枚遣したので、身振りで下りにも使えるか?と聞くと頷くので、こちらも了承した。ところが下りケーブルに乗るとき、もぎりのおばちゃんはダメだと券を取り上げポケットに入れようとするので、思わずその手を叩き、日本語で声を荒げて文句を言った。しぶしぶと券を返して乗って良いことになったが、正当な場合には日本語でも何でも、表情豊かに文句を言う必要が外国では多い。
 丘の上は古い古城の跡であり、王宮博物館、教会、砦跡のほかレストラン、土産店など街を形成している。現在も広範囲に遺跡発掘調査も行われていた。


時旧りし石の砦や虎落笛 光晴
 砦跡は「漁夫の砦」と名づけられ、ドナウ対岸のペストの街並みを見る最高の場所となっている。名の由来は、昔漁師がこの土地を守っていたとか、魚市場があったとか諸説があるそうだ。
 教会は、マーチャーシュ教会と言われ歴代の王の戴冠式が行われた。1200年代に建造され、16世紀にはトルコ軍によりモスクに改装されたそうだが、17世紀に再度カトリック教会に戻ったそうである。
 王宮は1906年に再建されたもので、博物館や美術館として使用されている。
 これら見学の後、レストラン自由探訪の最後となる昼食を、この城址の街で取ることとする。この時見つけたのが、前に述べたお土産屋で、この店の若旦那に嫁いだ日本人女性もおり、そんな関係からか円も使用できた。
 私も刺繍のテーブルクロスやらトカイ・ワインやらと気持ち良く買い込んでしまった。随分と物価の安い国ではあるが、刺繍製品はそれなりの値ではあったが。
 昼食はアラニ・ホルドーと言うレストランに行った。天然の洞窟で食事が出来、ジプシー音楽のライヴも楽しめるとのことであったが、夜だけのことらしく、この願いは叶わなかった。
 ハンガリー名物のフォアグラを食す。一度にこれほどの量を食べたのは初めてであったが、東京で薄切り一枚食べて味も判らなかったが良く判った。にんにくをすり込んだラードみたいなものを付けて食べたのだが、生ねぎにも良く合い美味しかった。ビールやワインにも大変良く合う味であった。
 また、くさり橋を渡り、ペスト側の繁華街をぶらつき、夕刻ホテルに一度戻る。

トラブルその2

 この後問題のオプショナル・ツアーが待っていた。
 「ドナウ川ナイトクルーズと中華料理の夕べ」と言うオプショナル・ツアー参加者はバスで先ず中華料理店に向かった。繁華街からは外れた方に向かうのでお土産店のこともあり、ちょっと不安が過ぎる。着いた店はなかなかの風格の店であった。
 が、しかしである。料理は8品。そのうち一品はただの飯。その他も炒め物や餡かけ風のものとスープ。どれも戴けない代物だ。ガイドブックにヨーロッパの中華料理は似て非なるものと記されていたから、まあそれも許せる。
 飲み物は別料金、これも至極当然である。紹興酒一合幾ら、と言うので紹興酒3合とビールを頼んだ。徳利を持つとやけに軽い。おかしいと3本持ち替えるが皆同じだ。お猪口に注いだら一杯半しかない。ウェイターを呼んでも注文通り3本あるじゃないか、と言う。
 ガイドさんに言っても、一合徳利3本持ってきたと言ってます、と言う。我々は徳利を頼んだのではなく、紹興酒3合を頼んだのに中身が全く足りないのだと言ってもらった。この店ではこれで出していると言う。責任者を呼んでもらったら、今度は足りなかったので3本に分けましただと。あきれて、吹きだしてしまった。
 日本人はとことん甘く見られている。ガイドも甘い。お勘定は私が持ちますから、これを呑んで我慢して下さいだって。我々は断固呑まず、したがって店に我々もガイドも金を払わないことを認めさせその場を治めた。
 ツアー旅行の際は出来るだけ、昼夜食は自分で食事の出来るパックを選ぶと良いと思う。残念な思いでも一つ増えたが、この一文をお読み頂いた方の一助になれば幸いである。

街の灯を集めて流す冬ドナウ  とにもかくにも東欧旅行最後の晩である。ドナウに咲いた一輪の薔薇と言われるブタペストの夜景を満喫すべく、クルーズ船に乗った。くさり橋を始め、国会議事堂、王宮などがすべてライトアップされ、なかなかの見応えであった。

自由橋からマルギット橋の間の往復で4,50分の舟旅であるが、ブタペストを訪れるなら経験する価値がある。個人でも乗れる舟もたくさんあるようで、安いのでホテルで予約すると良いだろう。
 また日本でも歴史的建造物はライトアップすれば、内外の観光客を呼べる地が結構あると思うのだが如何であろう。

機上の想い

 翌朝は丸一日帰国の旅となった。行きの時差の儲け分を吐き出し成田に着くのは次の日の朝となる。
 今、人間は地球上の何処へでも、12時間程度で行ける。それだけ昔の人々より実質的に経験も深くなり、生の時間も増えていると言えるのではないか。しかるに、相も変わらず国々はいがみ合いが多く、世界は一つなどと言葉では言うが、なかなか前進が見られない。
 それでもユーロなどの統一通貨制度が広まりつつあることは明るい希望である。
 ドイツから黒海まで流れるドナウは何カ国の領国内を流れるのだろう。上流が汚染されれば下流のドナウの景観は過去のものとなる。流域全体が同じ思いを持って大事にして欲しい。
 日本国内にも上を正せば全て良くなる問題が川だけでなく、ずいぶんとあるのではないか。とりとめもなく、そんな思いでうつらうつらしつつ、今回の東欧旅行を締めくくったのである。       完



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