真鶴
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真鶴の貴船祭(神奈川県真鶴町)



はまゆうやみさきのはなにらばまつる

浜木綿や岬の端(はな)に溶岩祀る



貴船祭

ひとがたのやくよけもんやゆうはくしょ  7月28日、29日と真鶴に行った。  真鶴には美味しい魚を食べによく「うに清」におじゃました。ゴルフの帰りや子供の小さかった頃サボテン公園に行った 帰りなどであった。
 また、釣りでは福浦港から、鯵やホウボウ狙いなどで舟を出したことがあった。
 俳句など無縁の頃のことだ。17世紀の昔からこんな素晴らしい祭があるなど全然知らなかった。
 句友から誘われて、2日目のそれも夜が勇壮で華やかで素晴らしいと言われ、近くの旅館に一泊し最後まで祭を堪能 する事が出来た。
 また句友10人ほどで行ったお陰で、合間合間に3回に渡り句会を持て、佳句の競演を繰り広げたのも嬉しいことで あった。
 翌日はこの祭の原点となったと言う、真鶴岬の端、三ツ石展望台まで足を伸ばし、昼食後の句会を楽しんでの散会で あった。
 祭の原点とは、この三ツ石(大きな溶岩の3つの岩)の沖合に毎夜不思議な光が現れ、12体の木像が乗った舟が漂着 し、この神を祀れば村の発展になるとの書付が添えられていたと言うものだ。1100年ほど前の夏のことだそうである。
 これが貴船神社の由来とのこと。京都の貴船祭とは全く違うものであった。
 写真も鹿島踊りなどずいぶん撮ったがほんの一部を載せさせて頂く。


   岬道貴船祭の遠太鼓

   人形(ひとがた)の厄除門や夕薄暑

   宮涼し漁網で綯へる結び注連

 上の写真が貴船神社の境内から真鶴の港町を眺めたところ。この階段を神輿は前日に下り、この日は上って社に帰ってきた。
 戻った神輿は何度も何度も練って、止まるところが無かった。本当に担ぎ手はご苦労さんで、終わるとへたり込んで いた。危なくて写真も撮れなかった。
 左は魚市場。漁師さん達は貴重な祭の進行役だ。完全休業で生け簀にはトロ箱などが納まっていた。
 下はその昔、源頼朝が韮山で旗挙げ後、石橋山の戦で平家に敗れ、房州に逃げる時に潜んでいたと言われる「しとどの 窟」。中を覗いても何も見えなかったが、フラッシュを焚いて後で写真を見たら、頼朝らしき石像と青い苔が写っていた。
したたれりよりともすみしいわやおく

   日照雨来る祭仕度の海を打ち

   夏蝶の舞ふ休日の魚糶場

   滴れり頼朝棲みし窟奥

いぬどちもまつりはっぴをまかれおり

   御酒酌んで出初の神輿勢立つ

   海坂の神輿に波の飛沫たつ

   犬どちも祭法被を捲かれをり



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