常滑(とこなめ)の読み方と地名であることは昔から知っていた。
しかし、それが知多半島の突端に近いところで、中部国際空港のセントレアが位置する場所であることは、ほとんど
頭になかった。
今回常滑を訪問して、昨年南セントレア市とか、常滑まで含めてセントレア市とか地元の方々が騒いでいたのを思い出した
程度であった。それにしても、どこの国だか解らない名前にならなくてご同慶の至りであった。
常滑は瀬戸とならぶ愛知の古窯である。もちろん当地で知ったことであるが、朱泥と言われる急須で有名な窯場なのだ。
その他土管や焼酎など入れる大甕、植木鉢などが昭和時代には多く作られていたようである。
しかし、プラスチック製品などに押されて窯元の多くは廃業してしまい、往時の景観は影を潜め、観光資源化した町と
なっていた。
名古屋から名鉄線の特急で40分ほどで常滑に着く。地元の句友の案内で丘陵地帯の窯場跡を探索した。
細い路地を入って行くと、土管などを積み上げて作った築地があちこちにある。
右手下の方には煙突のある工場街。その先に見える塔は中部国際空港。わずかに海が光っていた。
角毎に煉瓦の煙突が出現するが、稼働しているものはほとんどない。閉鎖工場の脇で野菜を売っていた。
山茶花や坂の上下に窯場跡
瀬戸物を廃物利用冬の花
冬野菜戸板に売つて窯場跡
登窯があった場所だけに、いたるところ坂道である。先日の大雪の名残のある小路のうえには、山茶花が沢山咲いていた。
山茶花が多いと思ったら常滑市の花だそうだ。
甕や土管の築地を見つつぶらぶら行くと、市指定文化財の廻船問屋滝田家に出る。
江戸時代から明治前期の廻船主の家だそうだ。
おそらく、ここの坂の下はすぐに海が広がっていたのだろう。ガラス戸の全くない家であるが、風格に満ちていた。
庭には水琴窟が設えてあり、竹竿を耳に当てるといい音が聞こえた。入口の蝋梅は日溜まりに可憐な蕾を開き始めていた。
見学を終えて1,2分行くと土管坂と言われる坂がある。
細い短い路地であるが、片側が甕、反対側の築地が土管、道路にかわらけを敷いてある。
トップ写真と下の2枚がその土管坂だ。
冬日差す昔廻船隠居部屋
実千両水琴窟に耳寄する
蝋梅を活けて帳場の箱階段
冬うらら蛸の足とも紛う塀
冬日差す土管坂てふ窯の町
冬夕焼廃れ煙突尖る町
荒びたる煉瓦煙突暮早し
2006伊吹嶺五月号伊吹集収載句
この土管坂と、日本一だったという登り窯がある登窯広場が、この常滑窯場見学の目玉であった。
廃業した窯の中を店舗にした陶器店も面白い。窯の壁面は釉薬が飛び散りいろいろな陶磁となって、光り輝いていた。
常滑焼きの土は鉄分などのミネラルを多く含むため、焼酎などの蒸留酒を数日入れておくと味が一段と美味しくなる
とのことで、それ用の小型の瓶を求めてきた。
自分の土産だけでは家内に怒られそうで、朱泥の急須も土産として買い込んでしまった。
瀬戸で見た登り窯はまだ現役であったが、こちらの窯は完全に引退していた。
この窯の内部も釉薬や塩の結晶が飛び散っており、窯を覗けばきらきらと輝き、鍾乳洞の入口のようであった。
釉薬の艶めく窯や寒土用
妻に買ふ朱泥の急須初の旅
2006伊吹嶺五月号伊吹集収載句
センチメンタルなノスタルジーに過ぎないけれど、失われ行く景色は美しい。
この土器の町、煙突の町、海を見下ろす坂を持った常滑の町が、いつまでも無くならないで欲しいと思いつつ帰途に着いた。
2009年10月に再訪。その時の句を二句追加しておく。
煙突の残る窯場や昼の月
2010伊吹嶺新年俳句大会主宰入選句
鯖雲や煙突多き窯の町
2010伊吹嶺一月号遠峰集収載句
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