塩釜の浜にて船を交渉しておると、慌ただしく駆け込んで来た同船の客があった。どこかで見た顔と思えば
某映画俳優であり、産業戦士慰問に北海道に渡る途次の松島見物だとのこと、当方は奥の細道の文章を通し
ての松島が気になってはおるのだが、鞄を開くこともならず、船頭の諧謔交じりの説明に爆笑しつつ大小
島々の松の影の間を鑑賞した。丁度後三十分程で松島海岸に着く時である。来たなと言う船頭の声もあら
せず疾風に襲われた。もうあたりは真っ暗であり、波の穂がギラギラと蒼黒く光る。たちまち雨脚が海面
にしぶきを上げて雷鳴閃光のまっただ中になってしまった。
いなづまや海の面をひらめかす 芭蕉
これは奥の細道にはなかったが、ふと脳裏をかすめた。が現実はそれ所ではない。濡れぬように片側に寄って、同船氏
ともども油紙をかぶって、しばし生色もない。船頭もさすがに無言である。とこうする内に雨も段々収まって
来て船は松島海岸に着いた。
船頭の「雨は水だでなあ」という大声に送られて、笑い興じつつ宿に入った頃は、夕立のならいで、もう
豁然として青空がのぞき、夕映えは松島湾頭を紅く彩って、今しがたの雨の玉が松に甍に輝いている。宿の
手摺りに寄って松島は凡景だと聞かされておった自分は、逢いがたい自然の賜物に払拭され浄化された、
この松島の夕景に
「松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭・西湖を恥ぢず」
「江上に歸りて宿を求むれば、窓をひらき二階を作りて、風雲
の中に旅寝するこそあやしきまでに妙なる心地はせらるれ」
(奥の細道)
が如実に体験せられて嬉しかった。海のご馳走で食前は豊富、明日は私もほんの句日の旅ではあったが、
都に帰れると思うと、そわそわした心になるのであった。此處に来てこの旅に始めて二,三枚のはがきを
認めて寝についた。