墨堤散策

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紅梅の半ば輝き半ば透け  (2004.02)

向島百花園にて

木母寺

 今回は、東武鉄道鐘ヶ淵駅に11時集合、ここから5,6分の隅田川沿いにある木母寺から徐々に川に沿ってくだり、 浅草までの吟行をしてみることとした。
冴返る梅若塚のちぎれ幣(ぬさ) (2004,02)  先ずは、能や歌舞伎の「隅田川」の題材として有名な梅若塚のある、木母寺を訪れた。
 木母寺は、墨田高校と首都高6号線の鉄筋に挟まれた、小さな鉄筋造りの寺であった。戦災とか、防災拠点建設により 、いたしかたないのだろうが、観光の目玉ともなる縁の地であれば、もう少し周りの樹木などにでも気を遣って欲しい気が する。
 どこから何をどう撮っても背景が上手く収まらない名跡ではあった。
 狭い境内には、梅若の塚と多くの句碑や歌碑、山岡鉄舟などの筆になる碑さらに現在の「カネボウ」の前身「鐘淵紡績」 の創業者を顕彰する碑などもあった。
 人買いに連れられてこの地に着た12才の梅若が辞世に詠んだ歌が

  尋ね来て問はは応へよ都鳥 隅田河原の露と消へぬと

であった。
 この塚の右手には身がわり地蔵があり、千羽鶴で埋まっていた。

春寒し身がわり地蔵に千羽鶴  光晴

伊吹嶺5月号「伊吹集」収載句。

向島百花園

 隅田川沿いに歩いても20分程だと思ったが、鐘ヶ淵駅に戻り隣駅の「東向島」でおりた。「東向島」は昔「玉の井」 と言われたところで、私娼窟として有名であり、永井荷風も小説に良く書いている。今でも名残の家並みのところがある。
 この場所は、線路を挟んで隅田川とは反対側にある。
 駅から10分程歩くと、向島百花園に着く。
 名園として残っている殆どが、有力大名とか、貴族あるいは由緒ある神社仏閣の庭であるが、この百花園は違う。
 江戸の町人、佐原鞠塢という骨董商が作ったとのことである。町人文化が花開いた文化文政(1804〜1830) 時代であり、多くの文人達が集ったのだろう。写真の扁額は蜀山人、柱聯は詩人の大窪詩仏が書いたものだそうだ。
 約1万886uあり、かなり広い。そして名のごとく実に多くの草木が見られる。名札が付いているのもうれしい。
 今回の訪問で見られたものは、梅の他三椏、山茱萸(俳句と写真 春に入れた)蕗の薹、節分草、福寿草などが見られた。 熊谷草やかたくりももう少しすれば見られるようである。

観梅の人の目を地に節分草 (2004,02)



 右上の節分草は初めてお目に掛かった。キンポウゲ科の草花で梅と同様5弁の白い花である。地にも梅が咲いている ようである。古い歳時記を見ると、春の季語として載っていた。
 蕗の薹は我が家の庭隅でも見られるし、近頃はスーパーにも売っているが、柔らかい土の上に出ていると実に綺麗に 見えるのであった。
 向島百花園も何度吟行しても恐らくは飽きない場所と思った。
 ここから水戸街道を浅草方面に15分程歩いて、ミニ句会をしようと会場に決めた蕎麦処に向かった。
 この蕎麦屋は、いかだ流し蕎麦と名打っており、カウンターに座ると前面に流れが作ってあり、筏に乗せて注文が到着 するという趣向が凝らしてあった。なかなか良い絵が沢山かけてあり、絵はご主人の作だそうである。

長命寺

 長命寺の名前は良く聞き、また自分も話したことが何度かあるが、それは、すべて桜餅についてであった。長命寺 に参詣したのも初めてであったが、当然大きな、そこそこの境内もあるお寺と想像していたので、見過ごしてしまいそうで あった。
 保育園を経営しており、雛祭り用か何かの張りぼてみたいなものを保母さん達が作ったり、子供達は大声で歌の練習 をしていた。
 三代将軍家光公が鷹狩りの折、ここの井戸水を飲んで腹痛が治まったことから、この井戸を長命水と言ったそうで、 これが長命寺の由来だそうだ。また江戸時代、この寺からの雪景色が良かったそうであるが、面影はない。
大川の波昏かねて輝けり (2004,02)  日も傾いて来て先を急ぐあまり、60基もの芭蕉や一九の石碑が群立しているとのことだったが、これも気づかずに 退散してしまった。
 実ははっきり言って桜餅がここでは本命と考えていたからでもある。
 この桜餅は餅をくるむ塩漬けの桜の葉は三枚で、少々塩濃い味であるが、葉ごと食べると実に美味しいのである。
 三月に入り雛祭り頃になると昼頃には売り切れてしまうほど人気がある桜餅だが、幸い本日はおみやげを仕入れる ことが出来た。
 暮れなずむ隅田川に沿って歩き始めた。桜橋は近代的な歩行者専用の橋である。夕日の隅田川は眠くなるような、 のんびりとした春のながれであった。
 実はこの橋を渡りきらずに、もう少し墨田区側を歩き、俳諧の霊場とも言われる三囲(みめぐり)神社を参拝して 言問橋から浅草に入るつもりにしていたのだが、気が付いたら渡りきっていた。

浅草寺

   言わずと知れた浅草の観音様である。すでに4時を回っていたので、参詣者もだいぶ少なくなっていた。しかし仲見世 などは相変わらずそれなりの賑わいを見せていた。
 現役時代に私はこの浅草の支店にも居たことがあるが、すでにその支店もない。もっともっと変化しているとも思えたが、 仲見世近くのお店はみな元気なようで安心した。
 浅草寺で俳句は拾えなかったが、久しぶりに甘味処であんみつなどを食し、今回の吟行の打ち上げとした。
 向島百花園は四季折々に尋ねたいし、見落とした三囲神社もある。近いうちに追加項が書き込めればと考えている。

吟行日2004,02,17





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