忍城址とさきたま古墳群

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高塚を覆ひ尽くせり枯尾花 


忍城址

 元の会社のOB会のバス旅行を利用して、行田に行ってきた。
 行田は足袋の生産地として有名である。それ位の知識しか持ち合わせていない私であったが、来て 見て大変に面白かった。
 まず忍(おし)城がこの行田であることは、とんと忘れていた。北条早雲や太田道灌、上杉謙信や 山内上杉、扇谷上杉氏、そして石田三成の水攻め、それぞれの時代の物語には必ず出てくるお城では ないか。それぞれの小説の場面なども思い出されて嬉しかった。
 忍城は平城であった。築城されたのは文明年間(1469〜86年)とのことだ。初代城主は 成田親泰。当時この辺は、広大な沼地であり、その中に島と島をつなぎ合わせる様な形で、館や曲輪を 作ったようである。
 明治に入ってすべて打ち壊しに遇っているが、最近鉄砲狭間のある城壁や御三階櫓と言われた、天守閣 、鐘楼などが再建されている。
 天守の鯱は日本最大とのことだが、名古屋の方が大きく見える。忍城は瓦で黒く、名古屋は金で 大きく見えるのかも知れぬ。


城燃やすほどに真つ赤き紅葉かな

冬近し忍の御門の黒き鉄(かね)

しやちほこの跳ねる天守や秋気澄む



 爽かや木目正しき鐘やぐら

 色褪せし官軍肩章身にぞ入む

 豊の秋古き年貢の割付状
06年「伊吹嶺」伊吹集2月号収載

 御三階櫓の中は博物館になっている。
 後に紹介する、さきたま古墳からの出土品、館に関する書付や維新前夜の品々、昔からの足袋の 生産に関わる展示などが数多くある。
 入口はちょうど菊花展が開かれており、丹精の大輪が見られた。
 植え込みの欅や楓は見事に紅葉して白い天守を引き立てていた。そして天守横の竹林は秋の日を 受けて、騒ぐこともなく佇んでいた。
きくかてんしろのれきしをうべなえり

 菊花展城の歴史を諾へり

 一枝の揺らぎもあらず竹の春

 日矢の透く欅大樹や冬温し
06年「伊吹嶺」伊吹集2月号収載

さきたま古墳公園

 忍城址から車で10分も行くと、広大な「さきたま古墳公園」に着く。
 最初に目にはいるのが日本最大級と言われる、円墳である。
 6世紀前半の築造で周囲105M、高さ18,9Mだそうだ。
 そしてこの頂上から1590年(天正18年)に石田三成は忍城水攻めの指揮を執ったと言うことだ。
 浮城とも言われた位だから、堤防を築けば沈むと感じたかも知れぬが地平線が見えるほどの関東平野 のど真ん中である。苦労したのは無理はないと頂上に佇み考えた。

 いにしへの墳墓を飾る草紅葉

左の写真は、その丸墓山古墳の頂上から見た、将軍山古墳、きれいに復元され、埴輪なども置かれている。
 トップ写真は二子山古墳、ここで最大の前方後円墳である。薄の穂がきれいだった。
 もう一つ上った古墳に、稲荷山古墳がある。頂上に洋式バスみたいなものがある。後で聞いたら、 埋葬施設を再現したものだそうだ。有名な金文字の剣(金錯銘鉄剣)が出土したのも、この古墳だ。
 この見学を終えて、昼食と温泉に寄る。温泉は行田 天然温泉「古代蓮物語」と言うところで、 スーパー銭湯みたいなところであるが、天然の温泉であり、露天湯始めいろんな方式で温泉を楽しめる ように工夫されていた。
 行田はこの温泉の名前にもあるように、古代蓮でも有名だ。また今度はそれら花の時期にでも、 ゆっくりと温泉に浸かりに来るのも楽しかろうと考えながらバスに揺られている内に東京に着いて しまった。

  露天湯のかぼそき湯気や冬に入る
[了]

吟行日2005,11,07




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