子規庵と根岸界隈

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子規庵その二

 冬晴の一日、根岸界隈を吟行した。  以前子規庵を訪れたのは、一昨年の11月であった。今回はその時より20日ほど遅く来たわけだが、訪れは不思議と 冬になってしまう。
 子規庵は写真撮影が禁止となっていた。住居内ばかりか、庭も禁止だと言う。
 500円も入場料を取っていながら、渋い話である。
 まあそれほどの変化も見た目にはないから、俳句で気持ちを残すのが本筋かも知れないが。

    万両のひときは赤し子規の庭

    揺さぶりて種の音(ね)軽き枯糸瓜

    子規庵に枯鶏頭を慈しむ

    冬菊や子規の病間の薄き玻璃

御行の松

 本日は根岸を入谷に向かって歩くこととした。  子規庵から柳通りを歩く。その中に名代らしいお菓子屋があり、こごめ大福なるものを推奨していた。
 本日の句会用茶菓として買ってみた。
 大きな大福であったが、さらりとした甘さで美味しかった。  根岸4丁目に御行の松がある。
 江戸名所図絵や広重の錦絵に描かれ、江戸名松の一つに数えられた松だそうだ。現在の松は三代目で初代は350年以上前のものといわれている。
 樋口一葉の作品「琴の音」や子規の俳句の題材にもなった。
 根っこが神格化されていた。

三島神社



 根ばかりの松祀らるる社祠小春

 雷落ちぬ社に木の葉時雨かな

 底見えぬ雷井戸や白椿
 柳通りから金杉通りを左に入ると、三島神社がある。
 この神社、樋口一葉の「たけくらべ」に出てくる三島神社である。
 そして、この神社には雷井戸なるものがある。昔この辺り大変雷が落ちたそうだ。そこで神主が竹竿で雨雲を突き、 雷の子供を払い落とした。この子供を井戸に閉じこめていたが、今後は暴れないと言うので出してやった。以来この辺り には約束を守り、雷が落ちなくなったそうである。
 雷の代わりに欅の黄葉が引きも切らず舞い落ちていた。

小野照崎神社

 金杉通りを上野方面にバックして横道にはいると、もの凄く高い公孫樹の森がある。
 ここが小野照崎神社だ。平安時代の遣唐使にもなった、小野篁を祀った神社である。
 境内には富士の溶岩で作った富士塚がある。昔はそこら中にあったものらしいが、この富士塚が往時の面影を良く 残していると、国の重要有形民俗文化財となっている。
 この富士塚に公孫樹が降り積もっており、雪の富士山の景となっていた。
 また、社の近辺は銀杏の実が葉と共に降りしきり、参拝中の人にまで当たっていた。
 ここの銀杏は実が小さいため拾い手がないらしく、踏まれたものも多く大変な匂いであった。

 参詣の列を乱すは銀杏の実

 富士塚に銀杏落葉は雪のごと

 枯枝に柘榴一つや鬼子母神

 角は無き鬼子母神とや冬うらら

鬼子母神

 神社を出て、言問通りを渡れば鬼子母神だ。本当はこの「鬼」の字にはツノがない。
 「恐れ入谷の鬼子母神 びっくり下谷の広徳寺...」と子供の頃から馴染みのある寺だが、訪問したのは始めてであった。
 ここは朝顔市でも有名であるが、混雑が酷いとの理由から見に行ったことがなかった。
 子規の朝顔の句碑が柘榴の木の側にあるだけで何もない。朝顔市の当日にでも来なければ、まったく「恐れ入谷の鬼子母神」。
 句会の後みんなで、恐れ入谷の鬼子母神と好点句の人を祭り上げつつ忘年会。
 開けば必ず飲み会付の吟行会となってしまった。恐れ入谷でござんした。

最終吟行日2005、12、10





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