写真の上でクリックすれば大きな写真になります。
戻るボタンで元に戻ります。


称名寺と金沢文庫



老鶯や七堂伽藍靄の中 

06年伊吹嶺8月号伊吹集収載句

 金沢山(きんたくさん)称名寺は、横浜から京浜急行特急で2つ目の金沢文庫駅から徒歩10分くらいの所にある。
 改札を出て海側の商店街を抜け住宅街(と言っても車の交通量はかなり多い)の中にあった。  道路沿いの朱の山門が称名寺の入口であった。
 山門ではあるが、柱は細く、それほど大きくもなくあまり見栄えのするものではなかった。
 この山門から100メートルほどの桜並木があり、ここに仁王門があった。この仁王門は白木造りで大きく、年代を 感じさせるものであった。
 仁王は、鎌倉時代の最盛期に作られたものらしく、武家文化の力を示すが如くに、筋骨隆々とし、腹のくびれや肩の 肉付きはうらやましくなるほどの体型をしていた。


 山門を潜り緑雨の石畳

 盛り上がる仁王の肩や新樹光
06年伊吹嶺8月号伊吹集収載句

 卯の花や崩落著き洞門に
 仁王門の先に浄土庭園が広がる。遠景の山を背景とした池に朱の反り橋が架かり、渡ったその奥に七堂伽藍がある。
 現在は橋は老朽化のため一部は外され、通行は禁止されている。
 池にはちょうど黄菖蒲が咲き乱れ、雨に煙る景色は深山の寺院の趣であった。
 称名寺は、北条実時が母の菩提を弔うために建立したもので、庭園や金堂の整備さらには、隣接する、当時の武家の ための図書館である、金沢文庫等は、その子、北条顕時(あきとき)孫の金沢貞顕によって完成された。  顕時、貞顕等一門の墓も杉木立の中にあった。
 金堂や草葺きの釈迦堂も武家文化らしく、質実剛健の感じがする。窓が開いているので中を覗いたが暗くてほとんど 見えなかった。
 重文の木造弥勒菩薩や曼荼羅絵図は実物大の模倣像や模写が金沢文庫にあり、こちらを拝顔するに止まった。
 文庫の入口側には、中世の隧道と呼ばれるトンネルがある。崩落が激しくここも通行禁止だが、鑿後のある洞門に 卯の花が枝垂れ、趣があった。

 草葺の釈迦堂の縁梅雨じめり

 苔むせし北条の墓藪蚊来る
06年伊吹嶺8月号伊吹集収載句
 孔子木騒ぎて迎ふ入梅かな

 北条の墓にどくだみ群ゐたり

 さらに北条一門の墓の手前には大きな楷の木がある。この木の葉がきれいに並んでいる様から、楷書という言葉が 出来たそうだが、この新緑はとりわけきれいであった。別名を孔子木というそうで、湯島聖堂など孔子廟にあるが、 日本では珍しい木だそうだ。
 金堂の横から金沢山への登り口がある。小雨の中であったので頂上の八角堂までは行かなかったが、木下闇の磴に 石仏群が列び、中間点の少し開けた場所には、石の慈母観音が祀られていた。
 周りの山からは鶯が引きも切らず鳴いており、とても横浜市内とは思えない。
 金沢文庫では、特別展「阿羅漢」が開催されており、宮内庁にある十六羅漢像称名寺の重文「十六羅漢像掛軸」など 貴重なものを見学できた。ともに羅漢さんの眉毛がすべて長いのには驚いた。
 ここも又再来せねばならぬ吟行地となった。

 新緑に赤子抱きたる慈母観音

 阿羅漢の長き眉毛や竹落葉

 野仏の風化せし字や青葉闇

 朽ち割れし朱の反橋や蛙鳴く

最終吟行日2006,5,13

 頭へ

 吟行地の目次へ

 ムーさんの図書室へ戻る

 トップページへ戻る