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川原町

 金華山(稲葉山)の麓(岐阜公園)の信長館跡など散策のあと、古い街並みが残る川原町を見る。
 元商店街であったらしい、格子戸の家並みが続いていた。高山や北陸の古い町に見られる、うだつも見られた。  さらに屋根瓦には、珍しい屋根神様の社が置かれていた。
 また、川原町筋の入口には、
  夕焼のすでに紫鵜飼待つ           誓子
  このあたりめにみゆるものは皆涼し     芭蕉
  闇中に山ぞ聳つ鵜川哉            碧梧桐

の句碑が点在していた。
 岐阜公園と鵜匠の里については昨年の長良川鵜飼をご覧頂きたい。


   格子屋の軒に吹かるる岐阜提灯

   秋西日屋根神祀る仕舞屋

   秋燕や夕日差し込む格子窓

09伊吹嶺誌1月「伊吹集」収載

  ふんすいがみたてのたなわはきにけり

   夕日濃き長良の早瀬鳥渡る
09伊吹嶺誌1月「伊吹集」収載

   逆光の藤の実黒し碧の句碑
09伊吹嶺誌1月「伊吹集」収載

   噴水が見立ての手縄吐きにけり

 左は碧梧桐の句碑だが、逆光にも為り巧く字までは読めない。
 この辺、鵜飼観覧の舟の乗り場でもある。また芭蕉が寄って「十八楼の記」を為したと言う、十八楼が割烹旅館として 残っていた。
 これより長良橋を渡って、今夜の宿多賀に向かった。
 鵜飼舟が出るには少し早いとのことで、先に食事をして鵜飼のフィナーレである総がらみを見ることにした。
 お酒も入れて、そろそろと出かけたら、気分良く飲食のし過ぎで遊覧船は戻ってくるところであった。
 真っ暗な川に遊船の明かりだけが走るのも秋らしい風情として戻り、句友と本日の成果を見せ合うべく句会を開く。
 仲間の即物具象の佳句に感心しながら、遅くまで俳句談議が尽きなかった。
 翌日は午前中に織田家菩提所の崇福寺を訪ねる。
 織田信長、信忠父子の位牌を安置した廟所や信長が愛用した櫓時計など見るべきものが多い寺だ。だが一番は最初に 書いた血天井である。今でもはっきりと血痕がわかる。
 この後、鵜匠の里で鳥屋などを見学。鵜に見られながら鮎雑炊を食べ、ビールも頂いた上で全国俳句大会の岐阜 グランドホテルに向かったのである。



   鵜飼果つ戻り舟の灯残しつつ

   終ひ鵜の籠片しをり闇の舟




   血天井の木目の乱れ秋暑し

   信長の父子廟の供花薄の穂

足半(あしなか)とは、鵜匠が履くつま先だけの草履。


   呆けたる薄の奥に稲葉山

   秋情や足半(あしなか)を干す鵜匠土間



[了]
吟行2008,10,4〜5
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