瀬戸の窯場



岩屋堂公園の紅葉

 瀬戸。瀬戸物の瀬戸である。瀬戸市は名古屋から名鉄瀬戸線の終点尾張瀬戸で降りる。
 瀬戸と言うのでてっきり海の近くを想像していたが、名古屋から北東に20キロほど入った山里であった。
 瀬戸は陶(すえ)所(ところ)がなまって、「せと」になったのだそうだ。
   瀬戸は結構広く各所で瀬戸物を焼く窯があるようだが、今回は赤津地区にある霞仙陶苑におじゃました。
 名古屋万博が来年開かれるため、町中は道路工事などで結構騒がしいようだが、窯場まで来ると実に静かな山に 入り込んだような気がした。
 工房の入口の山際には炭焼小屋があり、窯元の主が炭を焼いていた。
 気さくに応対して頂いたが、我々が去るとすぐ真剣な眼差しで焔と睨めっこをしていた。

炭焼の眼焔を離れざり


 山の斜面に登り窯があった。始めて実物にお目にかかったが、映像などで見たものより大きく、罅が出来ては上塗りを して補修を繰り返した形跡などもあり、存在感のあるものであった。今でも使用されている窯だそうだが、この日は 休め窯となっていた。
 写真では実感出来ないと思うが、左下に窯口があり、松の木の薪をどんどん燃やす。ケーブルカーみたいな窯の上の 方に行くほど、温度が高いそうだ。横に3カ所ほど陶器を入れる口が開いていた。
 窯の上には屋根があるが、周りは陶土の山、紅葉の間から窯は冬の弱日を受けていた。

薄ら日の揺るる窯場や蔦紅葉


 この窯場の陶土は、この登窯のある山で調達しているそうだ、長い歴史の中で山は半分削られて崖となっていた。しかし まだまだ十分な陶土を掘ることが出来ると言っていた。残った山の楓は見事に紅葉し、雑木林の木の実は音を立てて 降っていたが、最後には平地になってしまうのだろうか。
 紅葉が美しいだけに、一抹の寂しさを感じた。



薄紅葉山半分の陶土山


 さらに山の頂には、瀬戸の陶工の守り神だという山神様のちいさな祠と白蛇を祀った霊屋のようなものがあった。
 それぞれ何代か前の霞仙陶苑の匠の手になる陶器製のものであった。
 そこからは瀬戸の町が一望できたが、あちこちに剥きだしの白い崖を見ることができる。それぞれ陶土や珪砂を 採掘しているところだそうである。
 そう言えば有名な焼き物産地はだいたい日本列島の真ん中の中部近畿北陸あたりに集中している。不思議なものである。


産土神の徳利転けをり冬隣


 作業小屋の近くには多くの無地の轆轤で形成されただけの陶器が乾されていた。
 陶干場、すえほしば、とうほしば、と読むそうだが、俳句に出てくるたびに読みもわからず、実感も出来ず、 弱っていたがやっと理解できた。乾されている陶器は生地と言うそうだが、生地の皿のずらっと並んでいるのは、 心にすきま風の入る感じもした。



生地碗の干場凄然石蕗の花


 この後工房に入り、匠の技を拝見。1人前になるには、菊練り3年轆轤10年と言われるそうで、粘土の練りも それだけで美しさを感じる練り方であった。轆轤にしても、無骨な男の手が実にしなやかにせり上がってゆく。最後に 絵付けだけやらせてもらったが、その絵筆すら手が震えて、太くなったり、掠れたり、思うように絵にならなかったが、 私はこれから焼物など出来るだろうか?やってみたい気は以前からあるのだが。


轆轤師の土せり上げし小六月

せせらぎや紅葉間に間に日の弾む


 俳句もそうだが、自分だけのものを作り上げ形にする陶芸はきっと面白いと思う。ただ一連の作業を見ていて、自分 に今から出来るかどうかが問題ではある。どこかで真似事だけでもしてみたいと思った。
 食事と句会のために、岩屋堂公園の割烹旅館に向かった。
 岩屋堂は瀬戸の紅葉の名所だそうで、たいそうな賑わいであった。
 もちろん、噂に違わずすばらしい紅葉谷であった。トップの写真がその一枚である。この場所も後半日でも時間が あれば吟行したいところであった。
 句友との新幹線は、例によりビールと句談義で、あっという間に新横浜に着いてしまった。



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