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両国界隈 冬(隅田区)



冬の日を砕きてかもめ飛立てり

旧安田庭園

 両国駅を西に出て、すぐの国技館の脇、隅田川側にあるのが旧安田財閥から大正11年に東京市に 寄贈された、江戸時代の大名屋敷の汐入回遊式庭園である、旧安田庭園だ。
 現在は汐入ではなく、ポンプで満ち引きをさせているそうだ。
 また、円形ドームの両国公会堂も老朽化のため使用はしていないらしい。
 ともに安田氏の寄贈によるものだ。財閥の良し悪しはあるだろうが、最近の大金持ちによる文化 材の寄贈や大きな寄付金の話を聞かないのは寂しいことだ。
 心字池を中心にした園は大きくはないが、見応えがあった。
 ここも雪吊りをするそうで、女性を含めた若い植木職人が松手入れの最中であった。


   空映す池に走れり散紅葉

   松手入ボトル茶数本空にして

   水鳥の波に寄せ来る浮紅葉



   黄葉敷く公園の背ナ国技館

   木洩れ来る日溜りに濃し散紅葉

   山茶花の零れし道の赤きかな

慰霊震災記念堂

 この庭園と道路を挟んだ斜め向かいに、横網町公園があり、この公園に大正の大震災と太平洋戦争 の戦災の慰霊堂がある。
 慰霊堂の祭壇に向かって右の壁面には、大震災の当時を描いた油絵が多数掛けられていた。
 左の壁面は戦災の写真である。
 見始めると大自然の脅威に対する人間の無力さ、戦争と言う人間の愚かさに与えられる代償の 大きさが身に沁みて感じられる。
 今後も同じことが繰り返されると思うと、何とも言えぬ気持ちであった。
 表の大花壇の元気なパンジーといずれ芽吹くだろう公孫樹の裸木に少し慰められて回向院に向かった。
ふゆすみれいれいのかだんうずめきる

   慰霊堂の震災絵図や冷えわたる

   冬すみれ慰霊の花壇埋めきる

   黄葉敷く公園の背ナ国技館

回向院と吉良邸跡

 両国駅から京葉道路を渡った先が回向院である。
 回向院は無縁寺と言われ、1656年明暦の大火によって亡くなった人々を葬ったのが起こりとされる。
 この大火は振袖火事として後世に言い継がれている。
 写真掲載の鼠小僧次郎吉の墓の他、顔かたちも解らぬほど風化の進んだ塩地蔵や両国らしい力塚、 動物供養塔などが目を引いた。
 近くに吉良邸跡がある。町内の人々が残すことを考え、屋敷の一部を買い取って、首洗い井戸や 稲荷社を祀った30坪ほどの公園としている。
 この日は討入りのあった日で、ここでも義士祭、吉良祭が行われていた。


   裸木となりし公孫樹や空の青

   冬ぬくし次郎吉の墓削りゆく

   黄落のかくも激しき回向院



   寒空に太鼓を打つて吉良祀る

   山茶花や吉良氏遠忌の屋敷跡

   吉良邸に首洗ひ井戸龍の玉

 吟行の後、芭蕉記念館で句会を開いた。本年最後の吟行句会であり、15名の盛会であった。
 両国でもあり、忘年会はちゃんこ鍋をつつきながら、尽きることのない句談義を楽しんだ。
 この1年俳句を知らなかったら何をしていただろう。俳句を知った喜びを反芻しつつ帰途についた。
 帰宅した時にははるかに曜日が変わっていた。
[了]
吟行2007、12、14

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