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山本亭と河原

 帝釈天を裏に抜けるとすぐに、山本亭がある。
 山本亭はカメラ部品製造の会社を興した山本氏が4代に渡り住んだ家で、土蔵や人力車寄せまである、大正期の金持ち の家である。家も庭も実に立派なものであるが、ガラスは当時の薄いガラスがそのまま使われており、懐古情緒の豊かな 建築物としている。現在は葛飾区の所有となり、平成3年から一般開放されたそうである。
 山本亭を出て土手を上れば江戸川の広い河原に出る。
 矢切の渡しを見つつみんなでお弁当を広げた。


歪みたる玻璃ある廊下夏座敷 

鯉跳ねて水玉の付く蜘蛛の糸

菖蒲田に子の追ひかくるみずすまし

矢切と野菊の墓文学碑

 河原には菖蒲田もあり、いろいろなグループが車座を作っていた。
 数年前までは、我が家の近くでも聞こえた雲雀が急降下で降りてくる。野球場では少年達が歓声を上げている。
 そんな河原を少し歩くと渡し場に着く。対岸に本日渡しOKの白い旗が揚がっていた。
 5,6分で着いてしまう渡しであるが、二艘でのピストン運行をしていた。各自が渡し守の黒い手のひらに100えんを 載せて舟に乗った。
 ちょうど引き潮となったのか、貧弱な渡し場が丸見え、数本の竹や木の杭に板が載っているだけで、かえって風情が 感じられた。
ろのきしむおとのすずしきわたしかな

 日焼けせし腕を差し出す渡し守

 白日傘傾げて座する渡舟

 櫓の軋む音の涼しき渡船かな

06年「伊吹嶺」伊吹集10月号収載


 細そ竹で組める桟橋梅雨晴間

 桑の実や手漕ぎの渡しゆるゆると

 蛇現れて足の動かぬ我となる

 あげは来て野菊の墓の碑に纏ふ


 江戸川を渡ると、千葉県松戸市である。土手からしばらくは、キャベツを中心に広い野菜畑であった。
 あまり好きでない蛇に、この畦で二度も遇ってしまった。二匹とも大きな青大将であった。それでも、広い畑のなかを 歩くのは大変気持ちが良い。花菱草や、青鬼灯、野ゲシの絮などを見つつ、2,30分かけて「野菊の墓」の文学碑に たどり着いた。
 野菊庵と称する休息所と文学碑だけの狭い場所であった。
 句会場まではバスで行く予定であったが、15分ほど待つようであったので、歩いてしまったが、途中で抜かれたのには 残念な思いがでた。
 予定より30分遅れての句会となり、最後は端折り気味となったが、その分反省会場(?)は大盛り上がり。
 飲み過ぎた方もいて心配したが、次回を約して松戸より帰途についた。

最終吟行日2006,6,10

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