横須賀港

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原子力空母接岸港寒し

'13年伊吹嶺誌3月号遠峰集収載句


 冬晴れの日であった。原子力空母ジョージワシントンが寄港中とのことで横須賀軍港巡りなる名称 の遊覧船に乗船した。
 もう一つの目玉が日露戦争に活躍した戦艦三笠である。ちなみに私の祖父はこの時戦艦朝日に乗船 し下士官として活躍したらしく、金糸勲章も家にあり、子供の頃よくこの三笠まで連れてこられた 記憶がある。
 今見ても大きな戦艦であり、当時は新型艦であったことは間違いない。
 軍艦を我が国民の心のよりどころとして展示するのは、いささか残念な気持ちも半分有るが、最近の すべてに自信のない対外活動など見ると必要な部分もある気がしてくる。
 さすがに寄る歳月でよく見れば、甲板なども痛みが多いことに気付く。
 この日は日本の海上自衛隊の主力艦船も多く停泊しており、先年観艦式で乗船した艦の同型艦も見ることが できた。

 冬もみぢグレー一色戦艦(いくさぶね)

 朽ち目立つ三笠甲板冬ざるる
25年3月号伊吹嶺誌遠峰集収載

 ブリッジに上ると東郷元帥が日本海海戦の時立って指揮をしたと言う場所にプレートが貼られていた。 其處に立ってみたくなるから不思議だ。かわるがわるに立つので、なかなか写真に納まらなかった。
 遠くの海を眺めれば、大きなブイの上にのんびりと鴎が止まっているのが印象的であった。

 日溜まりのブイに揺らるる冬鴎

 東郷の立ちし艦橋(ぶりつじ)冬かもめ
25年3月号伊吹嶺誌遠峰集収載

 艦内は階段などは狭いが、予想以上に広く、士官のプライベートルームなどは自衛艦よりも好環境 のように思われる。
 中国や韓国からよく歴史認識と言われるが、我々も我々なりに他国の歴史を尊重すると同時に我が国の 近代史も正しく認識する必要がある。戦争を肯定するのではなく、どのように戦ったかはぜひ戦後世代 も勉強する必要があるし、それには面白い教材である。  横須賀港の東京寄りの岸辺には予科練があったそうだ。その辺りは今では石油コンビナートを中心に 白亜の工業地帯となっていた。岸壁に白波が打ち付けていた。

 予科練の在りし突堤冬の浪
25年3月号伊吹嶺誌遠峰集収載
 冬の波浮き桟橋をひた揺らす 
25年3月号伊吹嶺誌遠峰集収載

 海上自衛隊の潜水艦も停泊していた。潜水艦乗のご苦労に頭が下がる一方、そこまでして国土を 守らねばならぬ人間の愚かさを考えてしまう。
 海は人間を育むものであり、人間の故郷だ。心休まる海であって欲しいと節に願う。
 クルージングを終えた後は三崎港に向かい、まぐろ盡くし御膳などを食して、京浜急行の快速特急で 横浜に戻った。
 以下の句は三崎港および途中の風景である。

 遠富士を背に浜の大根干

 投げ竿の冬夕照に撓みけり

 釣船の太き艫綱冬の暮

 人気なき漁港に冬の選挙カー

吟行2012,11,29
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