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斑鳩・奈良・柳生



石仏並ぶ古道や初の蝶

柳生

 予約しておいたレンタカーが9時過ぎにホテルにきた。
 最近はどこへ行くのもカーナビが付いているので安心して行けるのが良い。奈良から国道369 号線を30分ほどで柳生の里に着いた。山間の里は寒くはないが高原のような澄んだ空気が美味しい。
 ぱらぱらとある満開の梅が鄙びた村の感じにより一層の趣を与えていた。
 そんな時、東京で聞き慣れた廃品回収車のスピーカーが聞こえ、こんな山奥にまでと驚いたが、 普段うるさいこの音までもが、のんびりと心地よく聞こえた。
 一日中置いて600円の駐車場に車を入れて、剣と禅の道場である、正木坂道場から吟行を開始した。


   人気なき柳生の里や残る梅

   浅春や鄙に廃品回収車

   春寒の剣道場に塵あらず

 正木坂道場は宮本武蔵も訪れたと言われているが、当時は現在地より下の車を止めた駐車場の あたりにあったそうだ。
 このすぐ上が柳生但馬守宗矩が父石舟斎供養のために建立した芳徳寺で、もともとは柳生家の城 であった場所だそうだ。
 この寺に、柳生新陰流の免許皆伝の秘伝書や、徳川家からの血判付きの誓文書などが展示されて いた。
 さらに裏山を登ると、柳生家代々の墓がる。宗矩の墓が真ん中で石舟斎の墓は小さい。
 墓所の入口は六地蔵が守っていた。


   剣豪の墓ひつそりと山すみれ
2007年7月号伊吹嶺「伊吹集」収載

   竹の打つ音冴返る柳生墓所

   草青む放生池のありし跡



   罅深き一刀岩(せき)や蔦青む

   寄せ墓の隅に見つくる蕗の薹

   杉の香の柳生古道や春深し

 墓所から一刀岩(せき)に至る山道には放生の池があったが、水は涸れそれでも下萌がきれいで あった。その先の墓場には、沢山の墓石が一カ所に集められていたが、無縁となった墓なのだろうか。
 細いがれ場を登って行くと巨石の群れる谷に着く。ここが、天乃石立神社といって、手力雄命が 天岩戸の扉を引き開けた時に、力余ってここまで飛んで来た、岩戸の扉であるという。
 そんな大岩が70度くらいの角度で突き刺さっている。
 この神社は延喜式神名帳に記載されている式内社である。1000年以上の歴史を持っている訳だ。
 その奥に、これまた7b四方はある大きな割れ目の石がある。
 石舟斎が天狗と思って太刀を入れたら、この石が割れていたそうだ。
 この辺りにだけ、不思議な形の巨石があるのは、確かに神秘性を感じた。
 トップの写真が旧柳生街道の最初の六地蔵である。石仏の続く古道を辿ると、ほとんど解読は 出来ないが、全国で希な徳政碑文が刻まれていると言う、ほうそう地蔵に出る。この道は奈良まで 続いているようだが、戻って旧柳生藩家老屋敷を見学する。
 柳生家は江戸詰が原則であったため、藩主帰郷のおりの宿舎でもあったそうで、石垣を見ても 城のようである。
 昭和39年からは、作家の山岡荘八の所有となっていたが、遺志により奈良市に寄贈され、一般公開 されるようになった。
 遅い昼食を、たった一軒営業している食堂で摂り、最後に寛永3年、独眼流柳生十兵衛が諸国漫遊に 旅立つ際に植えたと言う十兵衛杉を見て奈良に戻ることとした。
 奈良より京都、新幹線で古都に別れを告げた。  十兵衛杉は落雷のため枯れてしまっていた。



   春深し十兵衛杉の枯れて立つ
[了]
吟行2007,3,19

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