葛飾八幡宮
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随神の丹塗りの門に青葉風
例年になく早い梅雨入り宣言が出た数日後、ちょっと用事ができて千葉に向かった。
昼頃には太陽が出て暑い日盛りとなった。
市川にはけっこう有名な葛飾八幡神社があることを知っていたが、参詣したことがなかったので寄ってみた。
葛飾八幡は寛平年間(890年頃)宇多天皇の勅願により、京都石清水八幡宮を勧請したものだそうだ。
源頼朝が寄ったとか太田道灌、家康などにも縁があるようで古来武神として崇敬されたと神社の由緒書にある。
また、左の随神は、もともと仁王様がいた場所だそうだが、明治の神仏分離令により仏教色が取り払われかくのごとく
なったそうである。この随神門は市川市の指定文化財となっていた。
市川市役所に車を置いて5分も歩けば境内に入る。参道は市役所のある14号線まで伸びている。
その間に京成電車の踏切がある。少し前まではこの辺全体が神域だったのであろう。
その名残のように市役所の筋向かいには「八幡不知森(やわたしらずのもり)」あるいは「藪知らず」と言う、
鬱蒼とした一角がある。現在は小さな神社裏の藪みたいな場所であるが、一度入ったら生きて出られないと言う
伝えがあるそうだ。これを見ても昔は大きな森の中であったと思うのである。
車の往来が激しく写真は撮れなかった。
下の公孫樹の木は神木で、最大周囲は10.8メートルある。雷にやられた幹の周りに新しく生えた芽が大きくなったもので
「千本公孫樹」と言われている。
この神木にも謂われがあり、うつろの中に小蛇が栖んでいて毎年八月十五日祭礼のとき、笛太鼓を聞くと数万の小蛇が
枝上に顕れ、多くの人が驚愕したとあった。
御手洗の水を貰ひて汗拭ふ
蛇神棲む伝への公孫樹木下闇
藪知らずてふ小さき藪竹の秋
鐘楼の回らす紙垂に夏の蝶
この鐘楼も寺を兼ねていたときの遺産である。故にかどうか紙垂(しで)を回らせてそこらの寺以上に大事にされていた。
なお、千本公孫樹は天然記念物、鐘楼は寺時代からのものであり、県指定文化財の梵鐘も保存されている。
電車は京成電鉄「本八幡」(もとやわた)駅のすぐそばである。ここには記さなかったが、他にも伝説のある格式
豊かな神社である。参詣の価値ありと思う。
下は本殿であり、右の寄りかかる大樹が千本公孫樹である。
了
最終吟行日2005,06,14
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