蘇州・上海・北京
寒山寺
昼食に蘇州名物の桂魚らしきものを食した後、刺繍研究所(蘇州は刺繍が有名であり、特に両面が表になる刺繍は
蘇州の独壇場だそうだ。)などを見学。その後寒山寺に向かった。
寒山寺は特別大きな寺院でもなく、もっとも日本的な寺であった。もちろん色は赤が基調であり、屋根の反り返り
などは中国そのものであるが、五重塔などは、日本のものに似ており、この頃の建築様式が日本に取り入れられたのだと
思う。
寒山寺で有名なのは、中学時代に漢文の授業で一度はお目にかかった人が多いと思われる、帳継の「楓橋夜泊」である。
読み下し文は以下である。
月落ち 鴉啼いて 霜 天に満つ
江楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外 寒山寺
夜半の鍾声 客船に到る
帳継は唐時代の詩人ですが、写真の字は清朝の学者兪越(ゆえつ=越は木偏が必要)のもので、1906年(明治39年)
のものだそうだ。
また、堂には空海の立像などがあった。
下の写真は本堂と鐘付き堂で、鐘は寺の再建(1905年)に際し明治時代に日本から贈られたものだそうだで、
明代の鐘は日本に流出したと伝えられているそうだ。
寒山寺の創建は古く、南北朝梁の時代(西暦の6世紀初め)だが、5度の焼失に会っているそうで昔はもっと壮大で
あったのかも知れない。
寒山寺を最後に蘇州を後にして上海に戻った。
秋あはれ鐘いくたびも煙の中
秋蝶や香煙深き寒山寺