蘇州・上海・北京
夜の上海駅とその雑踏
准海路
准海路(わいかいろ)は昔のフランスの租界である。夜はディスコなどで賑やかな街となるそうだが、私の行った時間は
御前10時頃で静かなたたずまいであった。シカシ、フランスの趣を残す努力はされており、外灘とは違う異国情緒が
味わえた。ここにはスターバックスが店を出していた。コーヒーは日本と同じぐらいの値段を取られる。
この通りのお店はほとんどが道路にパラソルを立てるオープンカフェ方式となっている。
左の写真は、准海路に面した路地であるが、路地の一つ一つにもフランス租界の面影を残すよう配慮されている。
マロニエの黄ばむ街路や租界あと
豫園商場
豫園見学の後昼食を摂り、その周りの豫園商場をぶらつく。
行動とは後先になるが、まず豫園商場を紹介しよう。商場とは商店街のことなのだろう。土産物店、飲食店の大小が
ぎっしりと、この一角を占めている。
豫園を初めこの辺りは、租界時代も中国人の居住区であったためか大昔のままの街である。
日本で言えば、浅草の仲見世あたりと大阪の道頓堀界隈を一緒にしてさらにケバケバしくして大がかりにした市場だ。
ものすごい人波であり、当然スリと偽物売りの格好の活躍場である。
ちょうど左の写真の建物の向かいにペプシのオープンカフェがあって、一卓だけ空いているのを見つけた。椅子が除けてあったので
よその空いている椅子を持ってきて座ったが、周りに来る中国人がなんか変な顔をしている。同行の友人と二人であったが、
周りはだんだん変な感じの人ばかりになった。なんと偽物売りの集合場所だったようだ。
そのうち、売人どうしが大声で喧嘩を始めびっくりした。
縄張りによその売人が入り込んだのか、客の奪い合いかしらぬが、激しい声でののしり合っていた。
また、すぐ傍には現金問屋街もあり、うまく買えば安いが、外国人にはむちゃくちゃな値段をふっかけるらしい。
活気に満ちた中国らしい街ではあった。
豫園は右上の写真の奥にある。せまい土産物店の通路を入って行くと池のある場所に出る。映画「千と千尋の神隠し」
の湯屋みたいな建物がぐるりを取り囲んでいた。
左が池の周りに立ち並ぶ建築群であるが、左が湖心亭という茶館でお茶を飲ますところらしい。右手の方もすべて、
商業施設のようであるが、「千と千尋・・」の世界に迷い込んだような気がした。
刻を経て豫園の秋に惑ひけり
豫園
豫園は民時代の高官、潘允端が両親のために造ったといわれている庭園で400年間に何度も持ち主が変わったが、
現在まで見事に保存されている。
左下の龍の壁も謂われを聞いて書き留めたのだがわからなくなってしまった。
下の石庭や建物も当時の住人の権力財力を思うと、目が眩む気がした。
ここの庭の石も太湖石のようであり、石の好みも日本とはだいぶ違う。大きな石は「玉玲瓏」と言い高さ数メートル
ある。この石には無数の細い穴があり、上から水を注ぐとすべての穴から水が落ち、下でお香をたくと煙がその穴から
立ちのぼるというものであった。
この後お土産店や南京路、伊勢丹などを見学、夜食を食した後北京行き寝台特急に乗るため上海駅と向かった。
この頃になると少々疲れも出たのか、注意力散漫になり写真も俳句も出来なくなってしまった。
上海駅はトップ写真のように近代的な大きな駅であった。しかし駅周辺の群衆にはあきれかえるばかりで
あった。
終戦直後の上野駅をご存じの方は、あれを思い浮かべれば適切な情景となろう。それでも、外人観光客は優遇されて
いるらしく、わりとスムースに通してくれていた。
列車は最新式とのことで、4人一室のコンパートルーム寝台で思いの外快適であった。北京までノンストップであった。