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彦根

つきんでるひこねのしろやもみじみち

突き出でる彦根の城やもみじみち



 大津で「伊吹嶺」の全国俳句大会があった。
 幸い弟家族が近江八幡に住んでおり、また無沙汰も重ねていることでもあり、前日に寄らせてもらうこととした。
 早めの新幹線に乗り、彦根で途中下車。城と街を見て回った。

埋木舎

 埋木舎は、うもれぎのやと読む。埋木舎は桜田門外の変で水戸浪士に暗殺された、井伊直弼が若き日に文武に励んだ館 である。11代藩士井伊直中の14男として誕生後17才から32才までの15年間を300俵の捨扶持でここに暮らした。
 安政の大獄で強権をふるった大老のイメージは、彦根に来てみるとだいぶ変わってくる。

   埋木舎やおだやかに石蕗の花

   埋木舎に木犀の香の満つる

平成17年度「彦根観光俳句」優秀句

 

   実南天直弼若き日の庭に

 埋木舎は、お堀の外に沿ってある。その堀にはめずらしい黒鳥や青鷺などがいた。
 大きな木の門を潜ると金木犀の香りに包まれた。直弼は「世の中をよそに見つつも埋れ木の埋もれておらむ心なき身は」 とその時の心情を詠んでいるが、当時の心ある人々は実によく心身を鍛練している。先日読んだ勝海舟もこの直弼も睡眠 は1日4時間で足りると励んだそうだ。
 庭に咲く石蕗(つわ)や金木犀、南天の実を見つつ頭の下がる思いであった。
 下の写真は居間で直弼と親友の長野主膳が三晩に渡り人生論を語り合っているところだ。人影はベニヤ板造りだが写真 にすると結構見られる。
 
 彦根駅を下りて、まっすぐの通りを湖側に歩けば彦根城にぶつかる。並木の楓が色づき始め、小高い丘の天守閣が秋空 に気持ち良い。気温は結構高く、埋木舎を出て48本の松並木のいろは松を過ぎ、馬屋(重文)から登り道になると、汗だく となった。どこのお城もそうだが防御上歩きにくくしてあるから、少々栄養過多の身には応えることである。
 懸命に575を考えながら歩いたが、息が切れると俳句の調べは全く合わなく、単語の切れ端を書きとどめるのみに 終わってしまった。

彦根城

 彦根城は、初代藩主井伊直政(1601)より14代、260年間国替えも城攻めもなく、さらには明治政府の廃城令 にも生き残った。明治11年の廃城撤去の寸前に大隈重信が視察し、その名城の消失を惜しみ、明治天皇にその旨を奏上 したことで、城全体の姿がほとんど昔のままに残っている。
 彦根城にだけ残る馬屋とか、廊下橋に左右対称に建つ天秤櫓とか多くの重要文化財があった。
 また、天守閣は、いくつもの様式を組み合わせた、珍しいものであり、1606年に京極高次の大津城から移築されたと 言われる。また、内部は通柱がなく自然木をうまく繋合わせてあった。

   秋天に彦根の天守尖りをり
06年「伊吹嶺」伊吹集1月号収載
   鰯雲天秤櫓を覆ひつく

   時報鐘なぞへの闇の昼ちちろ

   直弼の城の白鷺天高し

 歩きにくい石段道を登り、天秤櫓(てんびんやぐら)を抜けて行くと鐘付き場がある。  時報鐘と言って、城全体に響くように建てられたもので、幕末期にはより美しい音色にしようと、大量の小判が投入されたそうだ。
 日本の音風景百選に選ばれているそうだが、私は聞くことが出来なかった。
 空には大量の鯖雲が浮いていたが、角度が悪く、城と同時には映らなかった。こんな時は俳句が大変便利であると思った。
 天守閣からは、琵琶湖と共に伊吹嶺、比良山、比叡などが眺められすばらしい。四季折々の風景を想像するだけでも、 良い眺めであった。  ただ、この方角から眺めた伊吹山は大きく崩落したように赤い土砂が見えていた。人為的に掘られたものであれば 残念な景観である。

   霧霞む比良へ水脈ひく遊覧船
 天守閣を下りて、井伊家の下屋敷、楽々園と近江八景を模して造られたという玄宮園を見た。
 楽々園は直弼が生まれた家でもある。屋敷からの眺めは内湖の先に伊吹山や佐和山などが望める素晴らしいものであった ようだが、現在は見えない。庭は大きな枯山水であった。木戸の入口にとべらがいっぱい実をつけていた。
 この近くに玄宮園がある。玄宮園は藩主が客人をもてなす庭園で、池に張り出した釣殿のような、鳳翔台という客殿が あった。
 きれいな回遊式庭園であるが、ここでは、直弼生家の楽々園の映像に止める。


   直弼の生家の木戸やとべら実に

城下の街

 ここからお城を出て、城下の街道が再現されていると言う、夢京橋キャッスルロードに行ってみた。
 映画などの屋外セットとは違い、現実に商いをしている街である。
 切妻屋根に白壁、黒格子で統一されており雰囲気は上々であった。
 でも、夢京橋キャッスルロードなどのネーミングは如何なものか?紺屋町とか、上魚屋町などの町名があるのだから それらを復活させた方がずっと気分もでるのにと思った。


   秋思かな旧きを模せし商店街

   そぞろ寒彦根城下の銀座街
06年「伊吹嶺」伊吹集1月号収載


 この再現された通りを突き当たり、左に駅への道をとった。この辺りも江戸時代の商店街を再現しようと道路工事の 真っ最中であった。行政を巻き込んでの街造りはなかなかのものと思うが、自動車の走る道でどこまで雰囲気を出せるか 問題である。
 さらに駅に近い通りは、銀座通りと名乗られていたが、うらさびれていて驚いた。
 どこの通りも賑やかであって欲しいものである。
 駅に着くと、すでに5時を回っていた。本日は近江八幡泊まり、久しぶりに弟家族とうまい酒を呑むこととする。
彦根  完


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