飛鳥山公園 春(東京都北区)
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花冷の都電大きく右折せり


 一週間前に開花宣言が出て、最高のお花見句会となるはずであったが、この日も花冷えとなり、陣取りのレジャー シートが虚しく風にはためく日和であった。
 飛鳥山は八代将軍吉宗が享保の改革の一つとして、江戸庶民のお花見用にここに桜を植えたことに始まる。
 それまでは上野の寛永寺などでお花見の乱稚気騒ぎが横行して、風紀が乱れたため、ここだけが酒宴や仮装が許される 花見の特設場となり、今に伝わっている。
 その由来が書かれた「飛鳥山の碑」と言う碑が今も残っているが、篆書であまりに雅な漢文のため当時より、読めない 碑として有名なのだそうだ。今ではその上に見づらさも加わり私も読めなかった。
 この山には隣接して渋沢栄一の住居跡もある。現存する「晩香廬」と「青淵文庫」も美しいお嬢さんに案内して頂き 説明を受けることが出来た。



   一路線残る都電や花大根


   飛鳥山の花二分咲きや時計台




   養花天飛鳥山の碑読みがたし


   陣取のシートはためく花の冷




   八重桜窓に柔き灯晩香廬


   うららけしランプシェードに真珠貝




   姦しや料理広ぐる花筵


   花の宴花より多き鳩寄り来

 ささやかな京樽の花見弁当を広げる頃には、花見客も大分集まり、花も朝よりは開いて来ていた。
 華やかな若い女性の陣は立派な料理がいっぱい。若い男性の陣はギターと酒瓶を抱え込んでいた。
 背広組もぼちぼち集まってきていたが、これはさらに夜にかけてくだをまくのであろう。
 駅前の北区の会館で句会。相変わらず佳句を詠まれる方が多く、楽しい句会を堪能する。
 もちろん、反省会は花筵とはいかなかったが、これまた楽しく帰りの電車は大幅乗越し。それでも何とか当日内に 家に無事に着いた。
[了]
吟行2009,03,28


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