写真は写真の上でクリックすれば大きくなります。
戻るボタンで元に戻ります。
大倉山公園
梅の香のことさら強し靄深む
雨の梅林
大倉山公園は、東急東横線の大倉山駅の側にある。
この公園は小高い丘陵とその間に割り込んだような谷戸にある梅林と大倉山記念館という、ギリシャ
神殿を思わす白亜の建造物からなっている。もともとは昭和6年当時、東京急行電鉄が乗車客アップ
のために梅園を作ったのが始まりとのことだ。
私も社会人になるまで、東横線の学芸大学に住んでいたので、駅も梅園のあることも知ってはいたが、
初めての訪れであり、予想以上に楽しい場所であった。
梅園の横には一般の人は入れない東横神社なる、恐らくは東急の守り神も祀られていた。
昔はずっと大きな梅園であったらしいが、谷戸の反対側の斜面は住宅地となっていた。
梅が過ぎれば花壇となるようであり、周りの散策コースは緑陰散歩にも良さそうであった。
吟行は小雨の中で行ったのであるが、靄霞む梅園は大変風情のあるものであった。これが
どの程度俳句に出来ているかは心配だ。
斜交ひに傘さす女梅香る
罅割れの太き老梅花満てり
2007年5月号伊吹嶺「伊吹集」収載
紅梅の莟に昨夜の雨しづく
枝垂梅池に長々紅零す
一木の前動かざり梅見傘
洋館の窓に春燈こぬか雨
大倉山記念館は、大正、昭和初期の実業家大倉邦彦が東西精神文化の研究を目的に、昭和7年に
建設したもので、現在は敷地を買収した横浜市が建物を寄贈され、記念館として市民の文化活動に
活用している。
大倉邦彦は大倉洋紙店の社長に見込まれ、婿養子となり社長を継いだ人だそうだ。
日本の教育、思想の乱れを憂え、教育や思想文化研究に力を注ぐようになった。建物の一部には現在も
(財)大倉精神文化研究所図書館がある。
大倉邦彦は1971年(昭和46年)89歳でその生涯を閉じている。
春の嵐が来ると言う天気予報は外れ、句会場を出る頃には全く雨は上がっていた。
打ち上げは駅前の中華料理店。美味しいお店であった。