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初秋の品川宿東京都品川区

秋雨のそぼ降る浦の舫ひ船
久し振りに旧東海道品川宿を歩く。ここは以前歩いたのだが、年末の寒い時であった。これは、旧東海道品川宿を
参考にされたい。
吟行に出て雨に遭うことは今までにも無いので、降っても小雨がぱらつく程度と思っていたら、瞬間的ではあったが、
南国のスコールのような雨が降り、ある場所ではカメラを使うことも出来なかった。
中抜きではあるが、以前と重複せぬ場所を載せる。
最初の幕末の志士を書いた小説には必ず登場する土蔵相模は前にも書いたがこの標識のみ、すぐ側の三代将軍家光が
沢庵和尚と問答をしたと言う、問答河岸跡も同じような標識が立っているが、こちらは狭い三叉路で自動車の動きが多く、
写真すら撮れない情況であった。
ここを海側に歩くとすぐに品川浦の船溜り。夏場涼み船として活躍した屋形船もすべて舫われて、秋雨に打たれていた。
右手に西行すると、利田(かがた)神社で鯨塚があることで有名だ。有名だけに大きいかと思っていたら小さな三角形の
石碑であった。
弁天様が祀られている神社で肝煎達が祭神輿の準備をしていた。
維新の士密議せし跡昼ちちろ
鯖雲や社に小さき鯨塚
09伊吹嶺誌12月「伊吹集」収載句
整列す九月の町の消防団
銀杏落つ飢饉供養の石仏
09伊吹嶺誌12月「伊吹集」収載句
小学校発祥地とや小鳥来る
銀杏の実傘撓ませて弾みけり
09伊吹嶺誌12月「伊吹集」収載句
さらに柳通りを西に下ると寄木神社がある。ここは、伊豆の長八と言う人が書いた鏝絵で有名である。残念ながら神主
さんが不在のようで開けて貰えなかったので不鮮明な画であるが、アメノウズメノミコトが大きなオッパイを出して、
天照大神を表に出したと言う功績図である。この神社、管理が悪く、狛犬には洋種山牛蒡が絡んでいた。
旧東海道に戻り、一番古い小学校があったという法然寺に寄った。この頃驟雨が酷くなり、傘越しに銀杏の実がぱらぱらと
落ちてきた。
第一京浜を渡り、品川神社に行く頃には、雨はほとんど上がってしまった。
少し早めの七五三詣りのご家族や板垣退助の墓や富士塚などを見ることが出来た。句はあまり拾へずに、また旧東海道に
戻る。
日本橋の次に渡る大橋が品川橋であったそうで、下は目黒川。昔はもっと川幅があったと思われる。
川の少し上手に荏原神社があり、ここでは初詣りのご家族に会った。
烏瓜退助墓所を明るうす
男の子の族率ゐる七五三祝
樟の実の香る社や宮参り
浪曲師の墓大きくてうそ寒し
身に入むや酒瓶転ぶ無縁墓
狛犬に絡めり洋種山牛蒡
旧東海道をさらに下り、品川本陣跡を吟行する。ここもすでに紹介済みだが何もない。
古い建物の醫院や畳屋を見ながら明治の浪曲師桃中軒雲右衛門の墓のある天妙国寺さらに品川(ほんせん)寺、
千躰荒神堂のある海雲寺と吟行した。
品川寺は前のHPに譲るが、そのさらに少し先に海雲寺はある。曹洞宗の寺だが竈の守り神、荒神大王で有名なそうで、
縁日には相当な人がでるらしい。
話は変わるが、この品川宿も池波正太郎の鬼平犯科帳などによく出てくる。お好きであれば読み直して、訪問するのも
楽しいと思う。
午後からは青物横丁の近くの句会場で楽しく本日のあれこれを句に詠んで楽しんだ。
本陣の跡や欅の黄葉づれり