
太子と敵対的な蘇我入鹿もまた、この時代の有名人だ。冬菜畑の広がる飛鳥寺の裏に入鹿の首塚が
あった。
奥には彼らの生活基盤であった甘樫丘が青空の中に広がり、秋耕の煙が一筋立っていた。
背に足らぬ入鹿の塚や鶏頭枯る
秋耕や甘樫丘煙らせり
13年伊吹嶺誌1月号遠峰集収載句
田仕舞の煙る明日香や夕日濃し
13年伊吹嶺誌2月号遠峰集収載句

ここから周遊バスで石舞台へ向かった。石舞台は蘇我馬子の古墳跡とも言われているが、大きな
石組みだけが余計にロマンを誘う。巨大な石組みである。
枯萩の小径辿れば石舞台
秋天へ青苔生せる石舞台
石舞台の巨石露はや秋の空