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山中温泉

さみだれのおとはおもたしいでゆでら

五月雨の音は重たし出湯寺

九谷窯跡

 九谷焼は、ご存じのように日本を代表する瀬戸物の一つで、石川県の特産である。
 私も金沢にいたせいか、緑や黄の五彩がきれいな九谷焼は好きな陶器である。大皿や猪口を何点か 当時に買い込んで愛用している。陶器は好きな物から割れるので残念であるがしょうがない。
 その大半は現在の九谷の工房がある、寺井町の陶器市で買った物だ。
 今回古九谷および九谷の再興を試みた場所が山中温泉の奥の九谷であり、ここで1655年頃から 1710年頃まで生産されたのが古九谷で1824年豊田伝右衛門が幕末までこの地で窯を持っていた など、知った。現在は写真のように、3つの登窯は山の傾斜の一部となってしまっていた。
 その寺井町もヤンキースの松井秀喜の根上町もいつの間にか能美市となっているようだ。どこも かしこも市になって、懐かしさとかこぢんまりした暖かみが雰囲気の中に感じられなくなるのは 寂しいことである。


   古九谷の窯址に濃し夏蕨

   蜘蛛の囲のあやとりはしによく張れり

   山女魚釣り暮れ初めてなほ動かざる

   湯の町にからくり時計の三味涼し    

 山中温泉は胡蝶旅館に泊まる。食事と露天風呂で名高い旅館であるが大変良かった。
   食後には当然句会があるので、先ずは湯の町を散策する。
 奥の細道の途中で芭蕉も山中温泉に寄ったとのことで、縁の地がいくつかあった。時間的にすべて を回ることは出来ないので、勅使河原宏がデザインした、あやとりはしから鶴仙渓遊歩道で大聖寺川 沿いに芭蕉堂を見学、芭蕉ゆかりの共浴場「菊の湯」まえのからくり時計などを見て宿に戻った。
 橋桁に多くの蜘蛛の巣が面白く感じられたのと、薄暗い谷間に山女魚を釣る熱心な人、湯の町の からくり時計などを句材とした。芭蕉堂は明治43年に芭蕉を慕う全国の俳人により建立されたもの だそうである。

医王寺

 山中温泉を発見した僧行基が、自ら彫りあげた薬師如来像をここに安置したのが始まり。 京都の蛸薬師、出雲の一畑薬師と並ぶ日本三薬師の一つだそうだ。
ここも芭蕉縁で、芭蕉の忘れ杖が納められているそうだ。私はこの時凄い雨となり、靴も濡れて いたので脱ぐ気になれず、本堂にも上がらなかったが、住職が良い声で山中節を披露してくれた。 出湯寺とも言うそうだ。
 トップの写真が医王寺からの景であるが、本当に山寺の感がした。この後小松近辺の篠原古戦場跡 についた頃には日が照り始めていた。

   石仏に巖の滴り絶え間なし

   五月雨や和尚が語る越の翁



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