人をらぬ鼠ヶ關水族館に入りゆきて氷を飲みて歸り來にけり
時も人も移り變りて關趾に汽車は通れり海の明るさ
街の氷屋で買った物は菅笠一介、昭和十八歳八月蕉跡行脚。南無日本文學遍照金剛。大東亜戰必勝完遂。
と書かま欲しかった。
鼠ヶ関駅発。鶴岡駅着。城を中心に市内見物、当夜は湯の浜に第二泊の宿をもとめた。
象潟
昨夜は産業戦士諸君の元気な歌声などで、うつらうつらと過ごしてしまった。善宝寺という古刹を拝し、
鶴岡に出て、いよいよ象潟にむかう。ひた走る車窓に鳥海山の美しいこと。打ち開けた庄内平野の穂波の
中をさぞや芭蕉翁も、出羽三山を眺めやって歩を進めたことであろう。昼頃、象潟の小駅に着いた。
「此の付近には一切乗り物はありません、宿屋もありません、自動車は急病の時、お医者が乗るのが
あるだけで・・・」
結局、次の汽車までに駅に帰ろう。うっかりすれば往復の道に時間が経つ。線路沿いに「ほらあの森の
向こうが」と言う駅員の言葉で、近道をとって駅前を曲がった。丁度良いことに蚶満寺 の近くに帰ると
いう小母さんと道づれになる。六十日も降らぬという道は灰の中を歩くようで、なかなかはかがゆかない。
車窓で三嘆した鳥海は此處からも麗しい山容を間近く表し、頂上に掛かっている残雪の一筋三筋が、ひり
つきそうな喉に清水、サイダーの味覚を幻想させた。小母さんの話によるとお盆なので、いま家毎にその
仕度に忙しく、どこの門(かど)にも吊してある、あの藁の馬は「かつぎ」というお精霊さんの乗物である
等、近郷の土俗について面白いことを聞かせてくれる。また、蚶満寺の仁王様は子供の咳封じに霊験があり、
今日は縁日だから門の付近は賑わうだろうという。