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 さて、象潟の九十九島は今の駅付近から線路を越えて一帯の田圃の間に点在しているのであるが、小母さん には知りすぎた毎日の景で、珍しくもないとみえて詳しくは説明して貰えない。駅から寺域までは半道程 であった。皇居山蚶満寺の標柱のある松並木の参道につく。老松に囲まれた山門には「羽海法窟」の扁額 が掲げてある。なるほど小母さんの話のように子をつれた近郷婦人の参詣者は仁王様の屋根の下を埋めて、 いまや昼の大共同食卓になっておる。私は足の踏み場もなく、お鉢やら土瓶やらさては寝ておる子供さんやらを 片付けて貰いながらやっと通った。しかしこの賑やかな仁王門下の宴席は十歩境内を進むと深閑とした うす暗い樹下道で本堂前の広庭には猫も歩いていないのである。私はガランとした庫裡にとびこんで来意 をつげ、しばらく知客寮に待った。やがて十二,三の小僧さんが案内に立ってくれる。
 「この寺の方丈に坐して簾を捲けば風景一眼の中に盡きて南に
 鳥海天をささへ、其の影うつりて江にあり」(奥の細道)
 私はなによりもこの方丈を拝見し又そこから象潟を眺めたかったのであるが、小僧さんは時頼の墨付、 芭蕉の真跡等、寺宝を見せ、庭内の言い伝えや名所等を細々と案内してくれて、結句は修理とかで僅かに 庭の方から閉ざされたその窓と白壁を眺めて二百数十年前を偲んだ。この地は今から百三十年前の土地の 隆起する前にはさぞ美しかったことであろう。近年宮様お成りの際にしつらえた庭の展望台付近よりの 眺望は水は無くとも鳥海の裾に青田が広がり、松を茂らせた大小の島々の散在はほとんど一望に収められ 絶景であった。庭内沢山の句碑の中に「雨に西施が」の合歓塚は宝暦年間の物ながら苔むし、さびて樹陰 にあった。小僧さんの説明はすぐに一種の謡い物になってしまって当方の注文だけの説明にとどまらず、 面白いながらも幾度も時計を気にしたのであった。
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