「なるこの湯より尿前の關にかゝりて、出羽の國に越えんと
す。此道旅人稀なる所なれば、關守にあやしめられて、漸う
として關をこす。大山に登って日既に暮れければ、封人の家
を見かけて舎(やとり)をもとむ。三日風雪あれて、よしな
き山中に逗留す」
とあって、翁は此處より先の中山宿の封人の家に泊まったことになっておるが、此の土地の伝説は、この
関守の納屋か馬小屋に単なる貧僧と見誤られて例の
蚤虱馬の尿する枕もと
の句を残して出立し、その後に偉い江戸の俳諧者らしかったと呼び戻されて饗応鄭重を極めた後に又前路
に向かった、ということである。
蚤虱の句碑はこの部落に降りる斜面の栗林の小祠の境内にあり、一旦、某富人が移したが病人が絶えないので
最近再びこの地に戻したとかで、コンクリートの台の上に、新旧そぐわぬ句碑としてたっておった。例の
様に覚えの足しにと写生したが、字は明和何年かの刻と読めた。
ごぜん七時鳴子発。新庄に下車、付近見物。見るべき物はないが尿前の関を越えて所謂、出羽越えの難
を越えた翁はやっと最上の沿岸に出られ、この付近に暫く足をとどめたようだ。尾花沢での句に
涼しさを和が宿にしてねまるなり
というのがある。丁度ここで尾花沢の人、星川訓導に、ねまるの方言を聞くに、ほんの一寸「すわる」の
意にて寝転ぶにあらず坐るにもあらずとのこと、翁も方言を意識して、よみこむことに幾分の味を持たせ
たものと思われる。新庄より仙山線、山寺に廻る。