山寺
駅前には既に峨々たる岩肌の松山があり、立石寺らしき屋根も樹間に隠見する。丁度日盛りであった。
昼食のつもりで寄った駅前の宿があまりに涼しげに相客のおらぬ嬉しさ。予定を変えて一宿と決め込み、
二階の手摺より眼前に峙つ山寺を眺め、下手な写生をして、二,三十分と思った仮睡が、清流のせせらぎに
誘われて、夕近くまで寝てしまった。実は今までの旅が、もう張りもなく、それほどの疲れを自分に呼んだ
のである。
奥の細道の中でも印象的な此の立石寺の項は、ほとんど諳んじてい、是非「岩に巌を重ねて山とし」「
岩上の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず」等、自身の体験によってより味わいを深くとおもっておった
のであるが時を逸しては仕様がない。山下の田舎の床屋さんに顔をあたってもらい
「佳景寂寞として心すみ行くのみ覚ゆ。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
等と口ずさみながら、せめてその蝉塚の句碑のある所まででも行ってみようと浴衣がけで磴道を登りはじめた。
まだ暮れるには早い時であったが、山道の付近は亭々たる老杉が競いたち、石段なるが故にその登り道は
何とか判るというほの暗さである。道の両側の斜面には新旧様々な墓石が立ち並び、その間、所々に句碑や
歌碑らしい形の変わったものもある。はじめの内は手探り交じりで文字も読めたが、それも見にくくなった。
ある屈折のはげしい坂で僧形の人とすれ違ったが、その後は一層小暗くて、その人の草履の足音がバタ
バタと麓の方に消えていってからは、樹間に見つけたまだ光にならぬ夕月を眺めて、「高野聖」の一場面
などを思い起こし、どうせ明朝登る予定なのだから好奇心もこの辺でと心を転換しようとしたトタンである。