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暮 春          武藤辰男

短歌生活  第二卷第八号 八月号   昭和四十四年八月発行

  春蝉も松風の音もなきままに病舎の午後は静もりてあり

  振り分けて乙女さびせすそのかみの
               ありし日のごと病みて若やぐ

  ベッドより降りて言なく茶をいるる
                手の静脈の透きてみゆがに

  この道は許されし道あさ夕にひとり静かに歩む道とふ

  さきさかるさつきの花の前にして
              病む身ひとつを耐へて立ちをり

  門前の築土(ついじ)に倚りて送りいる
                そびらの姿まなそこに去る

  何となく心の底にのこりおり車窓に見えしひとむらの赤
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